西垣通「コズミック・マインド」

岩波書店

2009年刊






 西垣さん自身の銀行の勘定系システムのSE経験を踏まえた小説・・


 
≪人間は不完全で、すべてを正確に記憶することはできない。

 もちろん、すべてを知り尽くす絶対知が手に入れば理想的なのだが、

 人間にゆるされるのは、それに向かって精魂かけて肉薄することだけだ。

 人間が完全なプログラムを決してつくれないのは、

 予想をこえた思いがけない事態がおこるからだ。
 
 目の前の時空間のなかにも、無数のかくされた襞がある。≫




 システム統合とは、どのようなものか?

≪・・規模も歴史も構造もまったく異なる大小オンライン・システムを緊密に一体化

 させる作業である。

 それはまるで、グレーハウンドとフォックステリアを掛け合わせて

 子供を産ませるような難事ではないか。≫

 ・・って引用しつつ、「まるで」からの譬えは、実はよくわかりません(^_^;)



スポンサーサイト


西垣通・ジョナサン・ルイス「インターネットで日本語はどうなるか」

岩波書店

2001年刊




 「英語公用語化論」への反駁・・

 今後、日本においても、英語がますます必要とされるという話と

 「公用語」にするというのは全然レベルの異なる話だということ。

 ≪問われるべきはまさに「単なる外国語教育問題」そのもの≫だ、
 
 と指摘されています。

 
 まあ、公用語化のような極端なこと言わずに、
 
 もうちょっと英語ができるようになろうよ、と(^_^;)




<目次>
第1部 日本人にとって英語とは何か
(英語教育と英語公用語化論
「ネーティブ・スピーカー」と英語公用語化論)
第2部 日本語はどうなるか
(インターネット多言語情報処理環境
ナショナリズム対グローバリズムを超えて)
第3部 コンピュータの可能性と課題
(翻訳とコンピュータ
インターネット上の多言語共同体の現実問題―L/Pプロジェクトの経験から)


西垣通「IT革命―ネット社会のゆくえ」(岩波新書)

2001年刊



 
 問われるべきことは、

 「IT革命後、われわれは生きる意味を見いだせるのか、

  生きがいを持って暮らしていけるのか」


 「生きるに値するネット社会をいかに作るか」




 いったいIT革命の正体とは何なのか?

 それは、「われれれ皆が情報を持てるようになる」こと。



 そして、サイバー・フロンティアの世界が広がっている。

 フロンティア精神とは、

 「統御支配可能な領域を拡大していく精神」のこと。

≪そこには、私的な欲望の追求が普遍的な進歩につながるという

 楽観的なイデオロギーがある。≫


 でも、ナイーブな「インターネット草の根民主主義」が絡むと、

 「ITのおかげで投機マネーが荒れ狂い、自己責任の建前のもとで

  多数の人々が絶望の淵にたたきこまれる、という事態が待ち受けているのだ。」



 グローバルな競争世界に対抗するためには、

 人間社会にある「150人の群れ」という集団のルールを思い返すこと。

 他者から信頼され、重要な存在だと認められ、「生きがい」を感じることが

 できる「群れ」=「共同体」に所属することかもしれません。  







<目次>
第1章 IT革命とは何か
(IT革命と生きがい
視野の狭いIT革命論 ほか)
第2章 いま何が起きているか
(中小企業も大企業と対等
ERP、SCM、ASP、IDC ほか)
第3章 メディア・ビッグバンで変わる
(光ファイバーを映像が流れる
ストリーミングによるインターネット放送 ほか)
第4章 オンライン共同体はできるか
(一五〇名の群れ
共同体と生きがい ほか)
第5章 情報都市をめざして
(居住空間を見直す
工業社会の物流と情報流 ほか)


西垣通「ウェブ社会をどう生きるか」(岩波新書)

岩波書店

2007年刊





≪人間の心は、情報という実体を「入力」されるではなく、

 刺激をうけて「変容」するだけなのです。≫

 そして、その変容の仕方は、個人ごとに異なっており、
 
 変容の仕方もまちまちであり、予測不能である。



≪情報とは静物が世界と関係することで出現するものであり、

 具体的には生物が生きる上で「意味のある(識別できる)パターン」≫

 である。

 「それによって生物がパターンをつくりだすパターン」



 現在起こっている歴史的大変革は、

 「情報学的転回(information turn)」、

 情報を基に、社会も政治も経済も文化も、すべて変わっていく。



≪実は、情報が生命活動と不可分であるということは、

 すでに科学的に実証されているのです。

 言うまでもなく、その代表は遺伝情報に他なりません。≫





≪・・あらゆる情報や知識を網羅的・一元的に集め、それを体系化して

 コンピュータにより検索できるようにする、といった一神教的な野心は

 捨てたほうが賢い、ということです。≫

≪真のアイデアを練るには情報は少ない方がいい、という逆説さえ
 
 成り立つのです。≫



これからなすべきことは、

≪機械情報中心に生じている情報学的転回にストップをかけ、

 生命情報中心の情報学的転回に反転させることです。≫




<目次>
第1章 そもそも情報は伝わらない
(ウェブ情報爆発の時代
足をすくう検索技術 ほか)
第2章 いまウェブで何がおきているか
(放送と通信の融合
e‐Japanからu‐Japanへ ほか)
第3章 英語の情報がグローバルに動く
(検索自動化の罠
ふたたび人工知能の夢 ほか)
第4章 生きる意味を検索できるか
(シャノン情報理論の功罪
生物と機械 ほか)
第5章 ウェブ社会で格差をなくすには
(暗黙知と「しみ込み型教育」
自閉症児の学び ほか)


西垣通「ネットとリアルのあいだ―生きるための情報学」(ちくまプリマー新書)

筑摩書房

2009年刊




 ネットの中で、「私というリアル」を構築することは可能だろうか?



 
 そもそも「私(自己)」という存在は、少なくとも二種類に大別できる。

 「言語的自己」と「身体的自己」である。

 言語的自己とは、意識的な存在である。理性と結びつき、合理的な推論を行うことができる。

 一方、身体的自己は、半ば無意識的な存在である。感情(情動)の源泉をなす。

 私(自己)は、この二つが緊密に統合された複合体である。


 現在の問題は、

≪・・現代の情報社会ではとくに、言語的自己が肥大し身体的自己が縮小しがちだ、

 という点である。

 それどころか、言語的自己が、本来統合されているはずの身体的自己から分離独立

 しはじめる傾向さえある。≫
  



 ところで、米国の心理学者ジュリアン・ジェインズによると、

「意識はおよそ三千年前、つまり紀元前約1000年頃に、

 中東地域を中心に発生した。それは人間だけがもつものだ」という驚くべき仮説を

 出しています。

 この意識は、自我意識、言語的自己であり、近代的人間観を支えているものである。


 言葉を持たない犬や猫も、自我意識はなくても、知覚意識は持っている。

 つまり、身体的自己だけで生きている。



 オートポイエティックとは、オート(auto)=「自分」を、

 ポイエーシス(poiesis)=「制作すること」である。

 つまり、「自分で自分をつくりあげること」に他ならない。

 反対は、「アロポイエーシス(allopoiesis)」。

 アロ(allo)=「他」をあらわすので、「他のものをつくりあげること」

 または「他のものによってつくられること」を表している。

 車やコンピュータは、アロポイエティック・システムである。

 一方、生命体はすべて自分で自分をつくりあげる。

 生命体は、オートポイエティック・システムである。


 人間の心は、一種のオートポイエティック・システムとみなすことができる。

 そこでは、思考やイメージが、自己循環的に発生している。

 原理的に閉じている。



 では、なぜ閉じたもの同士の心で、コミュニケーションが成り立つのか?

 
 ここでわかるのは、

 コミュニケーションに必要なのは、「正確な意思伝達」ではない、ということ。

≪社会的組織において問題なくコミュニケーションがおこなわれ。

 意思決定という機能が実行されていくことなのである。≫

 会議や打ち合わせにおいては、

≪個々の出席者は本来、自律的であり、オートポイエティック・システムである。

 だが、彼らは会議場で、ほとんど意識することもなく、まるで他律システムの
 
 ようにある役割を演じている。・・

 社会組織は上位、出席者は下位のオートポイエティック・システムということになる。

 いわゆる「情報伝達」とは、このような階層関係にあるオートポイエティック・システム

 のもとで、はじめて明確になってくる。≫

≪・・個々の心はいわゆる「情報伝達」とは直接関係がないのである。≫




 コンピュータが人間に近づくにあたっての壁・・

 それは、「心」や「身体」である。

≪意味内容をふくめた満足できる情報処理を、コンピュータで実行することは

 ほとんど不可能にちかい。

 この結果、逆に人間の身体を否定し、人間そのものを情報処理機械の部品に
 
 ちかづけることで、社会の効率向上を達成しようという過激な傾向が

 つよまった。こうして、身体にささえられた、かけがえのない「私(自己)」

 が崩壊しつつある。≫



 そもそも「情報」とは何か?

 広義では、「生命体が生きるための価値(意味)をもたらすもの」

 「生命情報(life information)」である。


 この「生命情報」を、記述表現したものは、

 「社会情報(social information)」である。普通、情報といえば、

 これを指す。

 社会情報は、記号とその意味内容から成り立つが、

 その記号だけを取り出したのが、「機械情報(mechanical information)」

 であり、最狭義の情報である。

 現代は、機械情報が氾濫している時代である。



≪生きるとは、そもそも身体的あ行為と一体なものであり、

 それがコミュニティによって認められて「私(自己)のリアル」

 がつくられている。

 だから、機械情報だけがいくらふんだんにあっても、活力ある生命情報

 がうまれてくることは難しいだろう。≫


 
 




≪表面上は機械的にみえる作業でも、それほど単純でない場合は少なくない。

 素人にはわからない微細なちがいを身体で感じとり、的確に対応するのが

 職人技というものである。≫

 ちなみに、

≪一見いかにも論理的・機械的なようだが、実はITエンジニアの仕事は、

 直感的・身体的で無意識のひらめきを要する、非機械的な職人芸でもあるのだ。

 にもかかわらず、ノルマ(労働量)や納期の管理、成果主義による数値評価

 などがきびしくのしかかっている。

 この矛盾が大きなストレスをうむ。≫


≪部品であれば取り替え可能であり、コストは安いほうがいい。

 表向き自由だの平等だのをうたいながら、実は情報処理をおこなう部品として

 人間を位置づけることは、そのかけがえのない尊厳を奪う詐術である。≫





≪・・21世紀の情報学的転回は「生命情報」を基軸にしたものでなくてはならない。≫

≪身体性とコミュニティの回復が、情報社会の未来をひらくのである。≫






<目次>
第1章 ITが私を壊す?
(私にとってのリアル
デジタル・ニヒリズム)
第2章 生きることは創りだすこと
(心と脳とコンピュータ
情報処理機械としての私
心はなぜ閉じているの?)
第3章 未来のネット
(自由平等という落とし穴
タイプ3コンピュータとは)

PAGETOP