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民芸茶屋六騎 (ろっきゅ)・・

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 名物のうなぎせいろ蒸し・・
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六騎・・源平の合戦・壇ノ浦の戦いで敗れた平家。

柳川に逃れた落武者6名(難波善長、加藤権内、浦川天ヶ左衛門、鳴神藤助、是永多七、若宮兵七)を
指して、騎馬武者の意味で「六騎」とよんだ。

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 北原白秋の生家跡・・
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北原白秋記念館・・
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この道

この道はいつか來た道、
 ああ、さうだよ、
あかしやの花が咲いてる。
 
あの丘はいつか見た丘、
 ああ、さうだよ。
ほら、白い時計臺だよ。
 
この道はいつか來た道、
 ああ、さうだよ。
お母さまと馬車で行つたよ。
 
あの雲もいつか見た雲、
 ああ、さうだよ。
山査子の枝も垂れてる。



ペチカ

雪のふる夜はたのしいペチカ。
ペチカ燃えろよ。お話しましょ。
むかしむかしよ。
燃えろよ、ペチカ。


雪のふる夜はたのしいペチカ。
ペチカ燃えろよ。おもては寒い。
栗や栗やと
呼びます。ペチカ。


雪のふる夜はたのしいペチカ。
ペチカ燃えろよ。じき春来ます。
いまに楊も
萌えましょ。ペチカ。


雪のふる夜はたのしいペチカ。
ペチカ燃えろよ。誰だか来ます。
お客さまでしょ。
うれしいペチカ。


雪のふる夜はたのしいペチカ。
ペチカ燃えろよ。お話しましょ。
火の粉パチパチ、
はねろよペチカ。



落葉松


からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。


からまつの林を出でて、
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。


からまつの林の奥も
わが通る道はありけり。
霧雨のかかる道なり。
山風のかよふ道なり。


からまつの林の道は、
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。


からまつの林を過ぎて、
ゆゑしらず歩みひそめつ。
からまつはさびしかりけり、
からまつとささやきにけり。


からまつの林を出でて、
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
からまつのまたそのうへに。


からまつの林の雨は
さびしけどいよよしづけし。
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡るるのみなる。


世の中よ、あはれなりけり。
常なれどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。
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川下りで下船すると、目の前にあるのは、「御花」の門・・

旧・柳川藩主立花邸・・
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季節が違うので見られないと思っていましたが、
「さげもん」が見られて良かったです(^^♪
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立花家史料館・・
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誾千代の武具・・
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宗茂の武具・・
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 西鉄福岡(天神)駅で、「大宰府・柳川観光きっぷ」を、2930円で購入。

 天神-柳川間、通常片道850円の往復に、川下り1600円分がついているので、

 合計3300円のため、大宰府に行かなくても、元はとれています。
 
 さらに、割引券も多数入っており、御花50円引き、白秋記念館50円引き、

 六騎100円引きと、こまごまと何気にお得(^^♪


 三柱神社・・
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 まずは、笠を借りて、「どんこ舟」に乗船。
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 すでに「こたつ舟」になっていました(^^♪

 乗客は、台湾人6名、韓国人2名、日本人4名の12名。

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怠けのもののカッパ・・
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 以前乗った時は、水門の工事をしていたため、30分の短縮コースでしたが、

 今回は、1時間たっぷり堪能できました。

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【楽天ブックスならいつでも送料無料】【まとめ買いでポイントアップ_KDKW】立花宗茂「義」という生き方 [ 江宮隆之 ]
立花宗茂 「義」という生き方 (新人物文庫)

江宮 隆之

KADOKAWA/中経出版

2014年刊



 宗茂の誕生年月、場所とも諸説あるが、

 永禄10年(1567)8月18日生まれ、

 豊後国国東(くにさき)郡筧(都甲荘筧城。大分県国東郡安岐町(あきまち))

が有力である。

 宗茂と名乗ったの時代は晩年の一時期のみと短く、

 統虎、鎮虎(しずとら)、宗虎、正成、親成、尚政(なおまさ)、俊正、経正、

 信正、立斎などと次々に諱(いみな)を変え、その数は十にも及んでいる。




 下剋上の戦国の世の中で、

 ≪おそらく最も武人としての節を通して生き抜いたのが、立花宗茂であったろう。

 宗茂は「武将」として卓抜した采配を振るい、その実力を遺憾なく発揮し、

 さらには表裏のない人柄と生き方とによって、味方ばかりか敵方の武将までも魅了した。≫


 その宗茂の節を通す生き方は、義父と父より受け継いだものであった。

≪斜陽であっても大友家を最後まで守る。

 これが道雪と紹運の決意であった。これは、主君の「恩」に「奉公」という形で報いる、

 という九州の武将に残っていた鎌倉時代的な士風がその根底にあったからである。≫


 そして、このことは、

≪最も苦難の中にあった主家・大友家を見限ることなく、大義に生きようとした宗茂を、

 太閤秀吉は最大に評価した。

 秀吉が知った「宗茂像」は「律義で誠実、勇気があって知謀にも優れている」

 というものであった。≫

 「立花宗茂、その忠義は鎮西一、その武勇また鎮西一」






 また、宗茂にとって、関ヶ原の合戦で改易後の浪人時代から大名復帰までの時期が

 最も苦しい時期であった。

 ≪こんな宗茂から、現代人の我々が学ぶことができるのは、

  決して諦めないこと、

  今の不遇を嘆かないこと、
 
  やる気を失うことなく常に前のみ見て生きること

 (これは希望を持つという人生の原点でもあるが)、この三点に他ならない。≫


≪人はどんなふうに生きたらいいのか、それを、宗茂の浪人時代が教えてくれる。

 不遇な時期を経験して再生した男は、人間としてさらに成長し、その後のステップアップに

 役立つことになる。いわば、プラス志向で生きることが、さらなるプラスを呼び込むという

 ことである。≫



 関ヶ原の合戦で西軍について再登用された大名は宗茂しかいないといわれているが、

 実際には他にもいます。
 
 陸奥中村・相馬義胤(6万石→嫡男・利胤に陸奥中村6万石)

 越前大野・織田秀雄(5万石→扶持米3000俵)

 加賀小松・丹羽長重(12万5千石→陸奥白川10万石)

 磐城平・磐城貞隆(10万石→信濃川中島1万石)

 筑後内山・高橋直次(1万8000石→常陸柿岡5000石)

 伊勢神戸・滝川雄利(2万石→常陸片野2万石)

らであった。

 このうち、高橋直次とは、高橋家(紹運)のあとを継いだ宗茂の実弟であった。


 陸奥中村・相馬義胤(6万石→嫡男・利胤に陸奥中村6万石)

≪関ヶ原の戦いでは大坂に嫡子・三胤(蜜胤・利胤)を残し、自らは所領の守りを固め、政宗に相馬領を通過させた。
 義胤の娘は岩城貞隆の正室となっており、相馬、岩城、佐竹は連帯している。
 慶長7年(1602年)、牛越城下において相馬野馬追のさなかに義胤に対し、関ヶ原で徳川方に与しなかったとして
 改易されたものの、蜜胤の訴訟や本多正信の説得などがあり、
 同年10月、嫡子をもって相馬氏による三郡の再統治を認められた。≫



 河合敦『関ヶ原敗者達の復活戦 負けてもなお生き残る人物とは』グラフ社、2009年
 
も、読んでみたい。


<目次>
序章 「義」の人・立花宗茂
第1章 かくあるべき幼児教育
第2章 一人娘の婿養子
第3章 二人の父
第4章 秀吉と柳川一三万石
第5章 文禄・慶長の役
第6章 ◆(ぎん)千代という生き方
第7章 関ヶ原合戦
第8章 家臣団の苦労
第9章 大名への復帰
終章 最後の武人

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