【バーゲン本】パスカル パンセ抄 [ ブレーズ・パスカル ]
ブレーズ・パスカル「パスカル パンセ抄」

訳 鹿島茂

飛鳥新社

2012年刊



≪精神の疲労回復と快楽≫

 ちょっと意外な処方箋でした。


≪疲労回復のため以外には、精神に休憩を取らせるべきではない。

 また、疲労を回復させるといっても、それは適切なときに限られる。

 タイミングのいいときに疲労回復をさせるべきで、それ以外はだめだ。

 というのも、タイミングを外して疲労回復を命じると、逆に人を疲れさせる

 ことがあるからだ。

 また、タイミングを外して追い込みをかけると、

 こんどは、疲労を決定的に回復させることになりかねない。

 というのも、そうなったら最後、人は切れてしまって、すべてを投げだすからだ。≫

 ・・このタイミング、当人にとって見極めはとっても難しいです。

 でも、マネージャがわかるか?、というと、それもまた微妙です((+_+))





≪死について考えること≫

≪死というものは、そのことを考えずに、突然それを受けるほうが耐えやすいものである。

 これに比べて、死について考えることは、たとえ死の危険がなかったとしても

 はるかに耐えがたいものである。≫






≪考える葦≫

≪人間は一本の葦にすぎない。

 自然の中でも最も弱いものの一つである。

 しかし、それは考える葦なのだ。

 人を押し潰すためには、全宇宙が武装する必要はない。

 蒸気や一滴の水でさえ人間を殺すに足りる。

 しかし、たとえ宇宙が人間を押し潰したとしても、人間は自然を殺す宇宙よりも気高いと言える。

 なぜならば、人間は自分が死ぬことを、また宇宙のほうが自分よりも優位だということを

 知っているからだ。宇宙はこうしたことを何も知らない。

 だから、わたしたちの尊厳は、すべてこれ、考えることの中に存する。

 わたしたちはその考えるというところから立ち上がらなければならないのであり、

 わたしたちが満たす術(すべ)を知らない空間や時間から立ち上がるのではないのだ。

 ゆえに、よく考えるよう努力しよう。ここに道徳の原理があるのだ。≫






<目次>
人間関係とコミュニケーション
人間の心理と錯覚
人間とは何か?わたしとは何か?
知ることと精神の働き
話すことと書くこと
原因と結果
職業と選択
自己愛と自我
褒められたい
幸福の追求〔ほか〕
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ドーダの人、小林秀雄 [ 鹿島茂 ]
鹿島茂「ドーダの人、小林秀雄 わからなさの理由を求めて」

朝日新聞出版

2016年刊



 「ドーダ」とは、漫画家の東海林さだおさんが提起された用語で、

 「ドーダ、おれ(わたし)はすごいだろう。ドーダ、マイッタか!」

 という自己愛の表出である。


 
 そして、小林秀雄。


 小林秀雄は、この「ドーダのデパート」である。

 小林秀雄の著作には、ありとあらゆるタイプのドーダが出てくる。

 「外ドーダ」とは、ドーダの根拠を「外」、外国に求めて、

 その外国の思想や事象を参照しながら、それに比べると日本の思想や事象はいかにダメか、を示す。

 フランス思想に依拠した小林秀雄の得意とするところ。

 一方、「内ドーダ」も、日本の職人や市井の常識人の知性といった「内」なる力によるものであり。

 西欧かぶれした日本の知識人に対して小林秀雄が依拠したもの。


 初期の評論では、自分の頭の良さをこれでもかとみせつける、わかりやすい「陽ドーダ」。

 後期のエッセイでは、枯淡ともいえるが自己愛が隠されている「陰ドーダ」。

 そして、わざとわかりにくい単語や文章をならべ、論理も紛糾させることで

 読者を煙に巻く「難ドーダ」。

 最後に、自分がいかにピュアであるかを強調し、純粋で混じりけのない文学や芸術を仮構し、

 それに比べると自分は不純だとする「純ドーダ」がある。





 小林秀雄的ドーダが、有効に機能したのは、

 大正末期から戦後の高度成長期に至る時代、1920年代から1980年代まで。

 この期間、「今日では想像するのさえ難しい」ほど、小林秀雄的ドーダが猛威をふるう。 

 かつて小林秀雄が、「実生活にとつて芸術とは屁の様なものだ」といったが、

 それは、日本のインテリ層が信じていた「生活と芸術とは放電する二つの異質」という

 前提があったからこそ有効であった。

 でも、1980年代にはそんな前提は崩壊する。

 それは、サブカルチャーという怪物が出現したから。

≪この怪物が次第に肥大して日本全体を覆いつくし、実生活と芸術とが峻別されない

 ノッペラボーな一元論の世界が現出したのである。≫





「批評するとは自己を語る事である。

 他人の作品をダシに使って自己を語る事である」といった言葉は、

 小林秀雄の本音であり、小林秀雄はドーダをしたいがために、ランボーやヴァレリーを

 翻訳し、批評を書いた。
 
 その裏返しとして、当時のフランス文学の中で、小林秀雄は、

 ユーゴーやマラルメを語ることはなかった、という指摘は、実に面白いです(^^♪




<目次>
小林秀雄の難解ドーダ
小林秀雄のフランス語と翻訳
小林秀雄と長谷川泰子
ドーダと人口の関係性
小林秀雄と父親
アーサー・シモンズの影響
小林秀雄とランボー
小林秀雄と河上徹太郎
ヤンキー小林秀雄
小林秀雄とアモック
小林秀雄の純ドーダ


鹿島茂「悪知恵」のすすめ -ラ・フォンテーヌの寓話に学ぶ処世訓-

清流出版

2013年刊



≪ラ・フォンテーヌの寓話には、フランス的な叡智と毒がつまっている≫


 あまりな言葉の連続に、読んでるうちに、ちょっと疲れてきました(>_<)




≪敬意は、衣装に対して払われるものである≫




≪見かけで判断するのはよくないが、

 判断は見かけでしかできない≫





≪現状は決して満足させることがない。

 いつも最悪の状態である。≫





<目次>
無知な友より、賢明な敵のほうがまし
働いて自分だけ豊かになりたがる日本人
人とは微差に過剰反応するものである
騙し騙されは人生にとって絶対に回避できない
たとえ飢え死にしようとも、孤高に生きる
ライオンと闘うには民主主義ではダメ
ライオンの言う「おいしい話」を簡単に信じるな
最も強い者の理屈は、つねに最も正しい
小さな親切は、大きなお世話である
わが身の不幸は、ふりかからなければわからない〔ほか〕


鹿島茂「とは知らなんだ」

幻戯書房

2012年刊



 鹿島さんの薀蓄講座・・・のようなもの。
 
 でも、こだわっているところが、ずれている・・いえ、違っているところが、
 
 面白いかも?!





○持参金

≪持参金というのは女性の権利を無視したひどい制度だと思っていたが、

 本当は逆だったのである。

 男性優位の婚姻制度にあって、夫に対して妻の経済的・精神的独立を

 保証するもの、それが持参金なのである。

 世の中、人権無視のように見えて、その実、人権擁護になっている制度

 というものがままあるようだ。≫




○本と本棚

 引っ越しし、書庫兼仕事場に20坪のスペースを用意したが、

 1年で本が6坪も勢力範囲を広げた、といいます。

「書棚の増加は算術級数的だが、

 本の増加は幾何級数的である。」

≪しかし、それでも私は力の及ぶ限り本と戦ってきたのである。≫

と、鹿島さんはいいますが、私の方は、2年前の地震で、本棚が1つ崩れ、

その後、段ボール10箱分ほど処分したものの、

残った本棚と本たちは、雑然と置いているだけの納戸と化してしまっています(>_<)



 



<目次>
1(ひげは自然か文明か
金鯱とルネッサンス
イルカと名古屋城 ほか)
2(知恵の「核」
ピンク色はいつからエロか
高貴な青、淫らな青 ほか)
3(就職のパイプライン・システム
部分対象的善悪二元論
純粋男系は断絶不可避 ほか)


鹿島茂「幸福の条件 新道徳論」

潮出版社

2012年刊




 鹿島さんの提唱する「新道徳論」とは、

「本当に(最終的に)自分にとって得になるように、よーく考えてから決断しよう」

 というもの。

≪「正しい貪欲さ」を発揮して、自己利益の最大化を図ること≫


 そのためには、

 「大きく貪欲である」ことをやめ、

 「小さく貪欲である」ことを目指すこと。






 バーゲン理論なるもの、面白い指摘です。

 バーゲンの時、売れ残った商品が、3割~7割引きされています。

 でも、自分にピッタリのサイズのものはなく、XLやSばかり。

 残っているMは、魅力のないデザインのもの。

 ここから導かれる教訓は、

「本当に欲しいものは正価で買っておけ」ということです。

「得をしようと狙い過ぎると、チャンスを逃す。

 チャンスは、少し損するかなと思ったときにすでに来ているのです。」






<目次>
道徳なしに生きることはどうやら難しい
道徳は人のためならず
バーゲン理論
続・バーゲン理論
「小さな貪欲」に罪はない
商行為とモラルの危機
「義務教育」の変容
教育と格差社会
モンスター・ペアレンツの源流
イソップ寓話の教訓〔ほか〕

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