白取春彦「超訳ニーチェの言葉 2」

ディスカヴァー・トゥエンティワン

2012年刊




 本書の底流にあるのは、「生の創造」「苦難の引き受け」「高みへの意志」


 「生の創造」・・現実の人生に安定はない。

 揺れ動き、波があり、アップダウンする。

 人生のこういう不安定さを、ニーチェは「Werden(ヴェァデン)」=「生成」

 と積極的に捉えた。

 
 「苦難の引き受け」・・

 生きる上での苦しみは、災害でも罰でもなく、

 この世に生きるものに必ず伴うものである。

 でも、苦難は人を育て、生きることを促進する(>_<)


 「高みへの意志」・・

 他人との比較ではなく、

 人としての能力の果てまで行ってみようとする意志のこと。


3 仕事が自分を強くする

 強いのは、常に仕事に打ち込んでいる人だ。

 彼はどんなことが起きてもたじろがない。慌てない。ぶれない。うろたえない。
 不安にならない。心配しない。

 仕事によって心を人格が鍛錬され、彼は世間をはるかに超えた者になっているからだ。

 『悦ばしき知識』


4.人生について考えるのは暇なときだけにせよ


5.苦悩は生きる力を汲み出す

 苦難や苦悩をなるべく減らそうとし、我が身をそういう苦しさからできるだけ

 遠くに置こうとするのは、結局のところ、自分が持つ生きる力を弱めることに

 ほかならない。



22 ひとり砂漠を進め



39 高みへと登るために

 山の頂上にたどりつくにはどうすればよいか。

 登ることだ。

 しかも、登りながらも上を目指していることを考えないこと。

 これまで登ってきた尾根や坂の数を数えないこと。
 
 いつも、今の一歩一歩を確実に踏みしめて登ること。

 この助言は、高みへ行こうとする者にとっては、他の場合にも役立つ。

 詩『上方へ』
 



<目次>
1 生について
001 待たずに進め、生きろ!
002 今が永遠に続いてもいいほどに
003 仕事が自分を強くする
004 人生について考えるのは暇なときだけにせよ
005 一つひとつの事柄をきちんと引き受けよ
006 生きゆく力
007 過去を愛しすぎるな
008 自然が教えてくれること
009 自然は成し遂げる
010 挑戦し続ける人生を
011 貧しい生き方をするな
012 苦悩は生きる力を汲み出す
013 固まれば破滅する
014 よきものは生をうながす
015 人生は形を持たない
016 人生は生ききる旅路
017 賞賛された若者へ
018 もっともっと成長しなさい
019 若者よ、急ぐな
020 衰えの魅惑
021 憂いなき蝶のように
022 ひとり砂漠を進め
023 つらいから青春だ
024 死刑の重さ
025 求めても得られないなら
026 自分の足で進め
027 自分の力で奪え
028 立ちどまれば階段にされる
029 毒を強壮剤に
030 いつ死ぬかわからない
031 私のモラル
032 人生には苦と快の両方がある
033 人生はさすらいだ
034 小さく生きるな
035 体の欲望に価値をつけない
036 才能を生かすもの
037 苦しみは人生からの贈り物
038 固定した考えから脱出せよ
039 高みへと登るために
040 魚のいいわけ
041 創造する者へのヒント
042 人生の意味はこの手にある
043 勇敢であれ
044 人生を自分のものにせよ
045 行ないが運命を生む
046 きみはどう生きるのか
047 自分の仕事こそ最高と信じよ
048 目標をあきらめるな
049 気持ちのままに

2 愛について
050 愛だけが導く
051 愛しすぎることの危険
052 愛からなされることは
053 愛という名の橋
054 愛は善悪の彼岸に
055 愛の力は人の宝石を掘り出す
056 移り気の愛
057 愛する者と愛されたい者
058 まずは自愛

3 己について
059 自己を超えた目標を持て
060 自己をあらわにせよ
061 欠点という名の教師
062 あらゆる体験はつながっている
063 群れの中では自分がいなくなる
064 不安な人は愛されたがる
065 最高の闘い方
066 理想さえも超えて行け
067 著者としての目標
*目次より抜粋
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ニーチェとの対話

西尾幹二「ニーチェとの対話―ツァラトゥストラ私評」



 西尾幹二さんによる、ニーチェ体験・・それに基づくニーチェ私評と

 書かれていますが、それがかえって、良いニーチェ入門書となっています。


「プラトンは「驚き」こそがなによりもまず「すぐれて哲学的な感情」だと

 言っているが、ニーチェの読者にこそこの言葉はもっとも正しく要請されるであろう。」


「ニーチェを読むことは、読者の側の一つの変身であり、運動であり、戦いである。」


 カール・ヤスパース曰く、

「直接にニーチェの中心へ通じるような叙述の道というものは存在しない。

 われわれの心の中に実り多き不安を惹き起こすことが、彼の偉大な点である。」



「他人に出会うことのない自己反省は不毛であり、

 やがて狂気に道を通じる。」



「単に世の中と折り合いがうまくつけられなかった偏屈な青年が、

 ニーチェの言葉に魅かれ、勇気づけられるとしても、それは正しい読み方ではない。・・


 彼は自分の孤独を正当化していない。

 どんな風に歩んでも、結局は孤独にならざるを得なかった自分自身をもてあましても

 いるのである。」


「思想とは私たちひとりびとりの生き方にほかならないのである。・・

 
 一人の人間が自分の行為を通じて自己実現を果たしていくプロセスそのものが

 思想だと言ってよいだろう。」



「個性は決して主張するものではなく、

 意図せずして自然ににじみ出てくるものでなければならないはずである。」





 ハウツー志向の生き方について・・

「方法を先に手に入れて、能率的に仕事を片づけるという思想に駆られている。

 方法は困難な課題の中から自然にあみ出されていくべきはずのものなのに -

 またそういう方法でなければ役に立たないのだが -

 彼らは居ながらにして苦労抜きで、たちまち解答の得られる方程式が欲しいのである。

 しかし他人から教えてもらった方法に従って、なにかがうまく運ぶことはあり得ない。」


 まあ、足元のプロセス改善の取り組みが遅々として進まず、
 
 生産性向上や見積り精度向上、品質向上への取り組みが、自分と自分の所属している組織の

 レベルを無視しては何も進まないことを骨身にしみているはずなのに、

 常に新しい方法論やソリューションを求めているのですね~(^_^;)



これがニーチェだ

永井均「これがニーチェだ」


 ちょっと偏っている・・でも、それゆえに思い入れたっぷりの永井均さんのニーチェ入門書。



 ニーチェは、「文字通りの意味で反社会的な(=世の中を悪くする)思想家なのである。

 それにもかかわらず、いやそれだからこそ、ニーチェはすばらしい。

 他の誰からも決して聞けない真実の声がそこには確実にある。

 もしニーチェという人がいなかったら、

 人類史において誰も気づかなかった - いや誰もがうすうす気づいてはいても

 誰もはっきりと語ることができなかった - 特別な真理が、そこにはっきりと語られている。

 だが、その真理は恐ろしい。・・

 
 私が感じる不満は、・・・ 多くの書物がニーチェから、問いではなく、

 答えを受け取ってしまっている、という点である。

 ニーチェは巨大な問題提起者で、他の誰一人として問うことがなかった問いを

 独力で抉り出した人である。」・・ただし、その答えは成功していない。


「哲学は主張ではない。

 それは、徹頭徹尾、問いであり、問いの空間の設定であり、その空間をめぐる探求である。」

 本書では、ニーチェの立てた3つの問いの空間について論じています。



「子供の教育のおいて第一になすべきことは、道徳を教えることではなく、

 人生が楽しいということを、つまり、自己の生が根源において肯定されるべきものであることを、

 体に覚えこませてやることなのである。

 生を肯定できない者にとっては、あらゆる倫理は空しい、
 
 この優先順位を逆転させることはできない。」
 


「哲学に必要なのは、知性ではなく、勇気と強さだ。」



「ニーチェは、世の中をよくしようとしたのではない。
 
 むしろ、世の中がよくなることがよいことではないということを教えようとしたのである。」

 超人思想は、左翼的でも右翼的でもない。いずれにも敵対する。

 超人は、文字通り超える(uber)人(mensch)である。

「彼は、肯定するための否定であり、意志をなくすための意志であり、

 もはや何も目指さないことを目指す、矛盾した形象であらざるをえないのである。」




ニーチェ入門

竹田青嗣「ニーチェ入門」


 わかりやすいと定評のある竹田青嗣さんのニーチェ入門書。



 ニーチェ復権・・

「ニーチェの思想が20世紀の後半になって再び蘇ったのは、なにより彼のキリスト教批判が、

 ある特定の「信念」、「主義」、「イデオロギー」などに対する普遍的な批判思想として

 読み直されたからにほかならない。」 


 ドゥルーズがニーチェから受けついたもの。

 1つは、「系譜学」の概念に由来し、「近代哲学をその問題の内容を問わないで、

 その「起源」、つまり「なぜそのような問題が設定されたか」という天を問題にする、

 という考え方をとる」こと。

 もう1つは、「伝統的に近代哲学が問題にしてきた「認識」や「真理」については

 問わないで、つねに事象の「意味」や「価値」を問題にする、という考え方である。」



 ニーチェの思想の柱は3つ。

 1.ルサンチマン批判

 2.これまでの一切の価値の顛倒

 3.ニヒリズムの克服、価値の創造

 ・・ポストモダニズムの思想家に復権されたニーチェですが、前2つについては復権に

 成功したようですが、3つ目はいまだ成立せず。



 ショーペンハウアー「意志と表象としての世界」によると、

 「個々の人間存在の意志(意欲、欲望)は、あおの「根源的なもの」としての「意志」

 の個別的な現われである。つまり「意志」とは人間の「意識」、「悟性」、「理性」と

 いった現象の根拠をなす根本的で根源的な「意志」を意味する。」

 それは、「生きんとする意志」「生へのあくなき意欲(欲望)」であり、

 「人間は理性によってこの世界の矛盾(生の苦悩)を解決することはできない」という

 厭世哲学だった。



 「悲劇の誕生」・・

 「ギリシャ悲劇における「悲劇」という概念のエッセンスは、人間のさまざまな努力にも

 かかわらずそれを超えた大きな力がこの世には存在する、という認識にあるのではない。

 むしろ、人間はその欲望する本性によってさまざまな矛盾を生み出してしまう存在だが、

 それにもかかわらずこの矛盾を引き受けつつなお生きようと欲する。

 まさしくここに人間の本質がある。」



 「より高い人間」の創出・・

 これがニーチェが設定した人間の文化の目標であった。

 1つは、ルサンチマン思想によって人間を平均化、凡庸化することへの対抗。

  当時の文化の主流をなしていた、キリスト教・ナショナリズム・民主主義・近代哲学・・

  これらはすべて人間の精神を「高く」するのではなく、「低く」(凡庸化する)もの。

 2つは、「歴史」の目標を「人間」以外のものに設定することへの対抗。

 
 
 「これまでヨーロッパにおいて考えられてきた人間的な価値」とは何か?

 それは、「キリスト教」、「道徳」、「真理という観念=真理への意志」である。

 これらへの徹底した批判。


  キリスト教の人間観の本質は「ニヒリズム」にほかならない。


 「・・新しい無神論者たち(哲学者、科学者、合理主義者、懐疑論者等々)は

 キリスト教とその神の国に反対した。しかしじつは彼らもまた「新しい信仰」を

 もっている。」・・近代哲学や近代科学は、「真理への意志」=正しい認識への

 あくなき追求、である。


「伝統的な考え方では、「真理」とは、プラトンやキリスト教に示されるように

 世界における「究極のもの」を指す。また近代ではそれは、世界の「真理」、「客観性」、

 そして、認識における「厳密性」と「正確性」を意味する。」


「近代哲学の「道徳」観念は、キリスト教における「禁欲主義的理想」の変奏形態

 にすぎない。」



 「真理への意志」は、どこに行きつくか?

 「・・ついに世界それ自体には何の意味もないということを証明するところまで

 ゆきつくのである。そして、この土台の上に、現代の無神論、懐疑論、デカダン、

 ニヒリズムが咲き狂うことになる。」



 ニーチェ曰く、「事実なるものはない、ただ解釈だけがある」

「「客観」とか「物自体」とか「世界そのもの」とかいったものはまったく存在しない、

 ということである。」

「「徹底的ニヒリズム」とは、この世を超えたところに何か「神秘なもの」あるいは

 「神聖なもの」などはいっさい存在しない、という確信である。」



 「苦悩」→「ルサンチマン」→「3つの推論(目的・統一・真理)」→「ニヒリズム」
 
 という道筋・・、この次は、ニヒリズムの克服、「超人」「永遠回帰」へつながる。



「わたしの考えでは、「永遠回帰」のイデーがまず押し出すのは、

 「人間が何のために苦しんで生きるのか」

 について、何者も答えを与えられずにどこにもその超越的な答えがないということに耐えよ、

 ということである。」

 その結果として、キリスト教や真理が作り出されたが、これらは人間の生を否定する「虚言」

 だった・・・これに対して、生を肯定する「虚言」が必要とされる。

「「永遠回帰」のイデーは、生の一回性を利用して世界と生そのものへ復讐しようとする

 ルサンチマンの欲望を“無効”にするのである。


 ニーチェが「力」という概念によってなしとげた視線変更の核心は、

 「知覚」「認知」「認識」「客観」「真理」といった認識論的・機械論的概念の序列を、

 「肉体」「欲望」「快苦」「力の感情」「自我感情」といった欲望論的、エロス的概念へと

 “還元”することであった。



 生の「価値」の根拠はどこにあるか?

「それは彼岸にも、絶対者にも、世界や歴史の全体にもない。

 ただ個々の身体(=肉体)の「性欲」「陶酔」「生命感情」「支配欲」「恍惚」

 といったもののうちにある。したがって人間の世界は矛盾に満ち、苦悩に覆われ、

 危険きわまりないものである。・・

 それにもかかわらず、この世界の「あるがまま」を否認し打ち消そうとし反動へと

 向かうより、それを是認しそのようなものとして世界に立ち向かうことの方が

 いつでも必ず「生」にとってよい結果を生むのだ、と」



ニーチェ全集(14)

偶像の黄昏 ・・ ニーチェ全集〈14〉


 生への意志への肯定
 
 ・・それに対する、キリスト教やプラトン以来の道徳や西欧思想が、

 弱者のルサンチマンによる逆立ちしたものであったとの指摘、

 そして、その元凶とした弱きものへの批判・・本書は、たぶんに行き過ぎます。

 ステレオタイプな19世紀の犯罪者観・・当時の常識なのでしょうが、

 読むにたえない表現が続きます。

 しかし、それほどまでに19世紀末の教会の役割の大きさとその社会的な抑圧

 が強かったのだと思います。




「快活さにまして必要なものがあろうか?

 大はしゃぎでたずさわらないものなど、どれも成功しない。

 ありあまる力であってはじめて力の証明となる。」



3 独りで生きるためには、人は獣であるか神であるかでなければならない

 -こうアリストテレスは言っている。

 第三の場合が欠けている。すなわち人は両者でなければならない -哲学者で・・・



26 私はすべての体系家を信用せず、彼らを避ける。

 体系への意志は正直の欠如である。




「或る反時代的人間の遊撃」

●私の我慢のならない者ども  

 セネカ 徳の闘牛士

 ルソー 不純な自然的なものというかたちをとった自然への復帰

 シラー ゼッキンゲンの道徳のラッパ手

 ダンテ 墓穴のなかで詩をつくるヒエナ
 
 カント 英知的性格としての偽善的口調

 ヴィクトル・ユゴー 無意味の大海のほとりに立つ大灯台

 リスト 流暢さの学校

 ジョルジュ・サンド 乳のはった豊満、「美しいスタイル」の乳牛

 ミシュレ 上衣を脱ぎすてる感激

 カーライル 辞退した昼食としてのペシミズム

 ジョン・ステュアート・ミル 侮辱的な明晰さ

 ゴンクール兄弟 ホメロスと戦う二人のアイアス

 オッフェンバックの音楽 悪臭を発する歓び

 ルナン 神学、「原罪」による理性の退廃

 サント・ブーヴ 男性的なものを何ひとつもっていない

 ・・



●ドストエフスキー

「ドストエフスキーこそ、私が何ものかを学びえた唯一の心理学者である。」


●ゲーテ

「ゲーテは - ドイツ的事変ではなくて、ヨーロッパ的事変である。」

「ゲーテは、私が畏敬をはらう最後のドイツ人である。」



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