ドストエフスキー「鰐 ユーモア小説集」

講談社文芸文庫



1.九通の手紙からなる小説

 二人の男がやりとりする9通の手紙・・

 手紙の文面だけで、双方が過剰に空想・・妄想し、

 相手への敵意がエスカレーションしていく様子は、

 いまのメールと同じ・・


 ・・微妙な内容の場合は、メール送信後は必ず電話でフォローが

 必要ですが、最後は、直接会ってみないと駄目ですね~



2.他人の妻とベッドの下の夫

 他人の家のベッドの下で、二人の男が鉢合わせ・・

 このシチュエーション・・ドラマか落語か何かで知っているのような気が

 しましたが、これが種本なのかも・・


3.いまわしい話

 小心者で自意識過剰な男・・って、どこにでも普通の人の一人なのかもしれません。

 その男の空想癖・・
 
「彼の眼前に、しずかな地下の歌声、開かれた墓、さびしい僧庵の生活、森の中、

 洞窟などが浮かんできた。

 だが、空想からさめると、彼はたちまち、こんなことは恐ろしく愚劣なことで、

 しかも誇張であることを、自分に言い聞かせ、こんなばかげた空想を恥じた。

 ついで、自分の失敗の人生を考えての鬱病の発作がはじまった。・・」


4.鰐

 街にやってきた「鰐」を見物しに出かけた男が、

 その鰐に飲み込まれてしまう。

 すぐに鰐の腹を割いて男を取り出せ、と叫ぶ男の妻。

 それに対して、腹を割くなら、将来にわたってこの鰐が稼ぎ出す

 お金を支払え、と主張する興行主・・


 でも、鰐の中で、しばし生き続ける男が、

「興行主の主張は一理ある。

 役所に確認して了解をとろう」と提案?!

 カフカの作品へ影響を与えたのか、与えられたのか不明ですが、

 この不条理・・・

 決して別の世界の話でなく、よくある役所や大企業病の一つにすぎません。





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おかしな人間の夢

ドストエフスキー「おかしな人間の夢」 (論創ファンタジー・コレクション)

訳は、太田正一。



 主人公のおれ・・は、「おかしな人間」じゃなくて、「気狂い」だ。


 「憂鬱なのは、連中が真理を知らないのに、おれはそれを知っているということなんだ。

  おお、われ独り真理を知るというのは、なんと苦しいことだろう!」

 ・・って、周りの人間が馬鹿に思え始めたら、とっても危険な兆候


 「白夜」の主人公と同様に、「おれ」も街中を歩き回ります。

 ・・そして、よく人にぶつかった。でも、そんなこともうどうでもよくなっていた。

 だって、ピストルを手にし、あとは引き金を引くだけだったから。


 でも、そんなある日、往来で一人の少女から助けを求められる。

 その瞬間、少女を追い払ったものの、

 少女を助けなかったことを猛烈後悔し始めます。

 この少女を助けない限り、死ぬことはできない・・と。

 結果、少女が自分を救ったのだ。


 
 主人公が、ピストル自殺後の自分を夢想するシーン・・

 まるで中原中也の「骨」でした。

 

 骨           中原 中也

ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きたゐ(い)た時の苦労にみちた あのけがらはしい肉を破って、
しらじらと雨に洗はれ ヌックと突き出た、骨の尖(さき)。

それは光沢もない、ただいたづらにしらじらと、
雨を吸収する、風に吹かれる、幾分空を反映する。

生きてゐたときに、これが食堂の雑踏の中に、坐ってゐたこともある、
みつばのおしたしを食つたこともある、と思へば
なんとも可笑(おか)しい

ホラホラ、これが僕の骨 -
見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残って、また骨の処にやつて来て、見てゐるのかしら?

故郷(ふるさと)の小川のへりに、
半ばは枯れた草に立つて見てゐるのは、-僕?
恰度(ちょうど)立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがつてゐる。


 ・・こういうの、好きですね~



ドストエフスキー「白夜」角川文庫クラシックス


訳は、小沼文彦。


 主人公の青年は、彼女いない歴、二十数年・・

 美少女とのデートシーンをいつも夢見ています。

 ・・なので、「白夜」という題は、白昼夢のことか、と

 思いましたが、現実の少女との出会いがありました。


 ただし、その前に、ペテルブルグの街をあてどもなく

主人公の姿が・・

「私は長いことさんざん歩きまわった。」
 
 ・・自分がどこにいるやら忘れてしまうぐらいに・・

 
 ナースチェンカという少女と出会い、

 彼女に自分の空想癖・・・妄想癖?を告白しますが、

青年期の若者の心情を代弁しています。


「それにしても喜びと幸福は、なんと人間を美しくするものだろう!

 愛にハートを沸きたたせるものだろう!

 自分のハートにあるものをそのままひとのハートに移せたらと思う。

 なにもかも楽しくあれ、

 喜びに笑み輝けという気がする。

 そしてその喜びはなんと感染しやすいものだおる!」

・・なんて表現は、恋愛の初期の様子をいきいきと表していますが、

 ドストエフスキーの小説で目にしたのは、とっても意外でした。


 でも、このままで終わりません。

 なんとも理不尽で甘くない現実を描いていたのでした。






永遠の夫改版

ドストエフスキー「永遠の夫」


訳は、千種 堅。


 妻を亡くした男トルソーツキーと、その妻の情夫ヴェリチャーニノフとの再会・・


 すわ、対決か・・と思うものの、

 <永遠の夫>と揶揄されるトルソーツキーが弱腰なので対決にならず。

 でも、ヴェリチャーニノフの世間受けの良さに対し、

 トルソーツキーの魅力のなさ・・・たぶん、多くの人々の姿が痛かったです。
 



 <永遠の夫>とは・・

「生涯、ただただ夫であることに終始し、それ以上のなにものでもないようにすることだ。

 《この種の男はもっぱら結婚するためにだけ生まれてきて、成長し、

  いったん結婚しようものなら、たとえ自分ならではの、

  かけがえのない性格があったとしても、結婚したとたん、

  自分の細君のお添えものになってしまう。・・》

 ・・この手の男は、妻に不貞をされるのだが、それに気づかず、気づいたところで

 何もできないため気づくまいとする。



死の家の記録改版

ドストエフスキー「死の家の記録」

訳は、工藤 精一郎。



 妻を殺した貴族のアレクサンドル・ペトローヴィッチの10年間の

 シベリアでの獄中生活の記録。

 ・・もちろん、ペトランシェフスキー事件で、シベリア流刑となった

 ドストエフスキー自身の記録です。



「監獄には忍耐というものを学びとる時間があった。」


獄中での「おそろしい苦痛」は、10年の間、

24時間365日間、ただの一瞬たりとも、一人になることができなかったこと。

・・「強制された共同生活」


身体的には、足枷をはめられ、

そして、

水っぽい、不衛生な食物・・


さらに、恐怖のお風呂・・

「浴室の戸をあけたとたんに、

 わたしは地獄へ突き落とされたかと思った。」

 小さな浴室に、100人余りの人がひしめいていた。

「目を刺す湯気、煤煙、どろどろの湯垢、足の踏み場もないほどの狭苦しさ」



でも、

「一日じゅう汗だくになってはたらけば、黒パンも、油虫の浮いた野菜スープも、

 結構食べられるようになる。」


新しく監獄に来た者も、2時間後には、

「みんなと同じ権利をもつ囚人組合の一員」になることができる。


しかし、貴族、旦那だけは別だった。

「貴族に対する憎悪、敵意、悪罵、嫉妬、たえまないいやがらせ・・」

絶対に理解されることのない人々と、

24時間365日間、一人になることができない苦痛・・。


 最初は、アレクサンドル・ペトローヴィッチという第三者の記録でしたが、

後半は、ドストエフスキーの肉声に変わっていました。


 
人間はどんな境遇にも順応することができる。

しかし、共同体から疎外され続けて生きることがいかに苦しいことか。

それでも、希望(・・この場合は、刑期の満了)が見えると、

 この試練さえもが必要必然であったと思えるようになること。


 
 お正月以来のドストエフスキーですが、面白いですね~。




蛇足・・

「金は鋳造された自由である。

 だから完全に自由を奪われた人間にとっては、それは普通の十倍も尊いものである。」







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