「エピダウロス」つながり・・

 「エピダウロス」は、紀元前4世紀には、医療施設を中心に、劇場(エピダウロス劇場)、体育訓練所(ギュムナシオン)、
 図書館に、大浴場まである古代ギリシアの「一大ヒーリング医療施設」であった。

 ここでの治療は、アスクレピオス神殿に詣でた後、
 その夜の夢見の結果に基づき、祭司の指導によるものでしたが、
 薬だけではなく、まず、マッサージや温水や冷水による入浴で身体をほぐし、
 スポーツや運動によって身体をリラックスさせ、
 ワインやハーブティーなどを飲み、
 観劇や音楽鑑賞で心を明るくさせるというものでした。
 
 そもそもこのような健康法の根拠は何か・・を、ちょっと調べてみました。


ウィキペディアの「ヒポクラテス」より。

ヒポクラテス、紀元前460年ごろ - 紀元前370年ごろにコス島で生まれた古代ギリシアの医者。

≪ヒポクラテスの父方の系譜を遡るとアスクレピス神に辿りつく。また母方の祖先はヘラクレスであるという。≫

≪ヒポクラテス(或いはヒポクラテス派)の最も重要な功績のひとつに、
 原始的な医学から迷信や呪術を切り離し、医学を経験科学へと発展させたことが挙げられる。≫

 迷信や呪術を排して臨床の観察と経験を重んじ、科学的医学の基礎を築く。

≪ヒポクラテスは、病気とは自然に発生するものであって超自然的な力(迷信、呪術)や神々の仕業ではないと考えた最初の人物とされている。≫

≪医学を宗教から切り離し、病気は神々の与えた罰などではなく、環境、食事や生活習慣によるものであると信じ、主張した。≫

病気の治療法として、自然治癒力を重視し、病人の状態に合わせた食事療法を主体した。

「人間は誰でも体の中に百人の名医を持っている」

「病気は、人間が自らの力をもって自然に治すものであり、医者はこれを手助けするものである」

また、「ワインは薬の中でも最も有益なものである」という言葉も残されています。

約400種類ものハーブによる治療法があり、ハーブティーやアロマテラピーを提唱してもいる。

様々な薬草より下剤、発汗剤吐剤としての役目を果たす成分を抽出し、体内に蓄積された有害物質を取り除いた。






ヒポクラテスの誓い(原文:小川鼎三訳)

≪医神アポロン、アスクレピオス、ヒギエイア、パナケイアおよびすべての男神と女神に誓う、
 私の能力 と判断にしたがってこの誓いと約束を守ることを。
 この術を私に教えた人をわが親のごとく敬い、わが財を分かって、その必要あるとき助ける。
 その子孫を私自身の兄弟のごとくみて、彼らが学ぶことを欲すれば報酬なしにこの術を教える。
 そして書きものや講義その他あらゆる方法で私の持つ医術の知識を
 わが息子、わが師の息子、また医の規則にもとずき約束と誓いで結ばれている弟子どもに分かち与え、
 それ以外の誰にも与えない。

・私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない。
・頼まれても死に導くような薬を与えない。それを覚らせることもしない。同様に婦人を流産に導く道具を与えない。
・純粋と神聖をもってわが生涯を貫き、わが術を行う。
・結石を切りだすことは神かけてしない。それを業とするものに委せる。
・いかなる患家を訪れるときもそれはただ病者を利益するためであり、あらゆる勝手な戯れや堕落の行いを避ける。
 女と男、自由人と奴隷のちがいを考慮しない。
・医に関すると否とにかかわらず他人の生活について秘密を守る。
・この誓いを守りつづける限り、私は、いつも医術の実施を楽しみつつ生きてすべての人から尊敬されるであろう。
 もしこの誓いを破るならばその反対の運命をたまわりたい。≫



ウィキペディアの「ギュムナシオン」より。

ギュムナシオン(古典ギリシア語)、ギムナシウム(ラテン語)・・「身体を鍛える場所」という意味

ギュムナシオンは公共施設であり、18歳以上の男性が肉体を鍛える訓練をする場所だった。

肉体鍛錬の場であるとともに、運動と教育と健康の場ともなっていた。

そのため、ギリシアのギュムナシオンでは、哲学、文学、音楽の講義やディスカッションも行われた。また、公共図書館が併設されていた。

≪ギュムナシオンには、様々なエクササイズ向けのスペースがあり、スタジアム、パライストラ、浴場、天気が悪いときに運動ができるポルチコや哲学者が講義したり議論したりできる部屋などがあった≫





河口明人「健康概念の起源について : 古代ギリシャ世界における身体と生命 : I. イオニアの精神と哲学の発見」より。

ヒポクラテスの時代は、体育のトレーナーと医師は区別のつかない役割を果たしていた、といいます。

≪事実ヒポクラテスの恩師ヘロディコスは,健康のために体育競技場で肉体の鍛錬と食餌療法を説く人であった。≫

≪ ヒポクラテス(学派)は,人体は多元的なものであり,その重要な構成要素(成素)は血液,
粘液,黄胆汁,黒胆汁の四つの体液であると考えた。この体液は、温度(熱・冷・湿・乾)
や季節(春・夏・秋・冬)と関連づけられて病因論を構成する。「実は身体には多くのもの
があるのであって,それらが自然性に反して相互に熱せられたり冷却されたり,乾燥された
り湿らされたりするとき,諸々の病気を生むのである」というのがヒポク
ラテスの体液病理説の原型である。そしてその多元的状況の調和と平衡の破綻が病気である
と彼らは考えた。「人間の体からこれらの成素の一つでも欠けることがあるならば,人間は
生きておれないであろう。」すべての人が「健康を得るのは,これらの相互の混合の割合
と性能と量が調和を得,混合が十分である場合である。病苦を病むのは,これらのどれかが過
少か過多であったり,身体ないで遊離して全体と混合していなかったりする場合である。≫
(引用部分ヒポクラテス「古い医術について」)
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四国遍路と世界の巡礼

四国遍路と世界の巡礼研究会 編

法藏館

2007年刊



 山川廣司『古代ギリシアのエピダウロス巡礼 アスクレピオスの治療祭儀』より・・


 古代ギリシアのエピダウロスに展開したアスクレピオス巡礼の様子・・

 英雄であり、医神であったアスクレピオスは、

 預言の神アポローンと、テッサリア王フュレギュアースの娘コロニース(あるいは
 メッセニア人レウキッポスの娘アルシノエー)とのあいだに生れた子と伝承されている。

 また、その出生地は、テッサリアのトリッカ(トリッケ)とされ、
 そこからエピダウロスに伝播したようであるが、
 のちにはエピダウロスがその生誕地とされ、一大聖地となった。

 アスクレピオスは、アポローン神によって母を殺されたときはまだお腹にいたが、
 間一髪のところで救出され、その後、ケンタウロス族のケイローンから医術を学び、
 やがて名医となり、アテナ女神から授かったゴルゴーンの血によって死者を蘇らす力を持つ。
 しかし、天地の常道の逸脱を恐れたゼウスの雷霆(らいてい)に打たれ、
 星座・蛇遣い座となった。

 エピダウロスでのアスクレピオス崇拝は、
 紀元前6世紀のアーケイック期に始まる。
 紀元前5世紀の古典期に、その崇拝は隆盛し、
 紀元前4世紀から1世紀のヘレニズム期には頂点に達し、
 キリスト教を国教としたローマ帝国によって426年に聖域が閉鎖されるまで続いた。

 
 エピダウロスの遺跡の建物・・

 主として紀元前4世紀に建設された。

 アスクレピオス神殿
 アルテミス神殿
 アフロディーテー神殿
 テミス神殿 などの神殿群、

 アパトンやトロスなどの医療施設

 カタゴゲイオンと呼ばれる宿泊施設

 パラエストラ(体育場)

 ギムナジオン(屋内競技場)

 公衆浴場

 図書館
 
 ストア(柱廊付きの建物)

 などの社会施設が広範囲に建立されていた。

 アスクレピオスを讃えて、スポーツと音楽の祭典アスクレピエイア祭が
 4年ごとに開催された。
 それは、オリンピアのスタディオン(野外競技場)に匹敵する長さ181メートルの
 直線コースを持つ競技場や、その音響効果で現在も絶賛されている14000人収容の
 野外大劇場で行われた、


 アスクレピオスによる治療を求め、ギリシア各地からエピダウロスを訪れた
 巡礼者(患者)たちは、
 聖域の入口プロピュライアを通って聖なる道を進み、
 最初の夜をアバトン(お籠り堂)で過ごした。
 
 男性はアパトンのに東側部分に、女性は西側部分に分けて寝床が作られた。
 睡眠の儀式に就く前に、冷水で身を清め、白衣に着替え、
 睡眠と夢見を促進するための一服を飲んだ。
 
 この夢見のとき、
 患者のもとにアスクレピオスが訪れ、触診したり、治療を施したり、
 処方箋を与えたりするいわゆる「奇跡治療」を行った、といいます。

 翌朝、神官団(医師団)は、その夢を聞いてカルテを作り、
 治療に当たった。

 そして、巡礼者たちは、
 神官団による治療を受けながら、
 同時に、
 ギムナジオンやパエストラ、スタディオンでスポーツを、
 公衆浴場や図書館で余暇を、
 野外劇場で悲劇や喜劇などの演劇を楽しみ、
 心身のリフレッシュを図った。

 非日常的経験を味わうことで、物理的・外科的治療と並んで、
 精神的解放を行うことで、
 心身の再生が行われた。

 また、後日改めて治癒のお礼に奉納品を持って再び聖地を訪れた。


 
 



<目次>
1 四国遍路の歴史と諸相(遍路と巡礼
古代の四国遍路
「四国遍路」溯源―古語と地名解釈
中世の石手寺と四国遍路
四国八十八カ所の成立時期
近世演劇にみる四国遍路)
2 アジアとヨーロッパの巡礼(天台山に惹かれた唐人たち
成尋の天台山・五台山巡礼
モンゴル時代の巡礼旅行者たち
イスラームの巡礼と参詣―エジプトの聖墓参詣を中心に
古代ギリシアのエピダウロス巡礼―アスクレピオスの治療祭儀
サンティアゴ巡礼
ウォルシンガムの聖母―近代に復活したイングランドの巡礼地)


関口知宏が行くギリシャ・トルコ鉄道の旅・・リベルラ、メテオラ

徳間書店

2006年刊



 リベルラ・・清い水の住人、

 メテオラ・・テッサリア平原にそそり立つ奇岩群 



≪憧れの中の憧れ、ギリシャでまぜ経験したことは、あの林立する美しい石柱や

 まっし白な家並ではなく、食べ物のうまさでした。

 野菜がうまく、チーズがうまく、貝料理がたまらなくうまく、いわしがうまい。

 記念すべきギリシャ初体験は、甲殻類やヤギ肉が苦手な僕が、

 なぜかそれをばくばくと食べちゃうという変な体験でした。≫



 
 "It's all Greek to me."

 「ちんぷんかんぷん」




<目次>
第1日目 アンカラ~エスキシェヒル
第2日目 エスキシェヒル~イスタンブール
第3日目 イスタンブール~アレクサンドルポリ
第4日目 アレクサンドルポリ~キルキス
第5日目 キルキス~エデッサ
第6日目 エデッサ~カランバカ
第7日目 カランバカ~アテネ
第8日目 アテネ~サントリーニ島
第9日目 アテネ~ディアコフト
第10日目 ディアコフト~カラマタ





小川光一「知られざるギリシャ―ギリシャ人はそんなに働かないのか」

キヤラバン

2012年刊




「ギリシャ危機、破綻国家、ユーロ圏のお荷物」・・

「エーゲ海の青い海と白い家並み、古代ギリシャ文明のアクロポリス、オリンピア・・」か。



 2012年のギリシャといえば、アテネのシンタグマ広場に集まっているデモの姿・・

 一年に800回のスト・・一日2~3回のストがあった世界。

 そして、昼間から缶ビール片手におしゃべりしている人々・・

 でも、後者はギリシャ人の余裕・・なんかではなく、

 中東・東欧当たりから不法移民の失業者たちのこと。




 アンドレアス・パパンドレウ、30年の遺物・・

 公務員天国・・

 ギリシャの人口は、1100万人。

 ギリシャ労働人口約500万人に対して、公務員は公称125万人、

 実際には、300万人!!!

 公務員給与は、政府支出の約4割。

 年金受給額は、賃金水準の73%~96%。

 受給年齢は、58才。57才への前倒しも可能。





 ギリシャ人の本音・・

「アクロポリスの神殿や、ソクラテスの名言と言われたって、本当のところは僕達には

 知らない事ばかりだし、全く縁遠いんだよ」

 
 ユダヤ人や中東の他の国家の人びとと同じく、

 【国も政府も信用出来ない】【自分達で自分の身を守って生きていくしかない】







 ギリシャ人の間では、左右上下もわからないような状態を、

 「まるで日本語の本だ」という。


ギリシャ・エーゲ海 第3版(旅名人ブックス39)

赤井 良平 旅名人編集室, 柳木 昭信

日経BP企画

2008年刊





アテネ・・

 アゴラ・・買い物と政治談議の場

「アゴラから哲学、歴史学、弁論術など、古典期ギリシャの輝かしい文化が
 生み出されていった場所である。
 
 アゴラは古代ギリシャ文明の母胎となった。」
 

 ディオニソス劇場・・いまのものは、紀元前1世紀のローマ期に改築されたもの
  
 「ギリシャ悲劇」が最初に演じられた場所だけでなく、

 施設自体が古代ギリシャの市民社会のあり方を端的に表している遺構。

 市民会議の場になり、
 
 詩人たちが神話に託して伝えるメッセージに耳を傾けて人生を考える場。

 
 


サモス島・・

 エフパリノスの水道トンネル・・古代エンジニアリングの偉業

 1040メートルのトンネルを、山の両側から掘り進み、それがつながった時の
 誤差は、数十センチだった。


 





<目次>
第1章 エーゲ海の島々の中核キクラデス諸島
第2章 エーゲ海文明の曙クレタ島
第3章 中世史の表舞台ドデカニサ諸島
第4章 オリエントの香りが濃厚な東エーゲ海の島々
第5章 古代ギリシャの中心都市アテネとその周辺
第6章 旅の便利帳

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