宮城谷昌光「三国志読本」

文藝春秋

2014年刊



 全12巻の宮城谷昌光さんの正史「三国志」の完結を記念しての一冊。

 これまでの吉川英治、柴田錬三郎の「三国志」は、『三国志演義』を基にしており、
 
 とても楽しい小説だったが、これらは小説の上に小説を立てたものであり、

 歴史小説ではなく、時代小説になっている。

 そこで、陳寿の『三国志』を基に、歴史小説を書いた、といいます。



「中国古代史入門―どこから学べばいいのか」

 宮城谷さんがどのように、中国古代史の世界に入っていったのか、が実に面白いです(^^♪
 

≪哲学書や倫理書(四書五経)を入門書とするよりも、歴史書であると同時に

 人間学のテクストである『史記』からはじめるのがよい、と私はおもいます。≫

 さまざまな出版社から本がでているが、

≪私がお勧めするのは、やはり原文、注、訳の三つが揃っている本です。

 では、私自身が何からはいったかといえば、朝日新聞社版の『中国古典選』からです。

 当時は箱入りの大きい本で、その巻一の最初の章が「晋世家(しんせいか)」の抜粋です。・・≫



≪朝日新聞社の『史記』はよい本なのですが、あくまで抜粋ですので、さらにその先、

 ということになりますと、

 明治書院からでております『新釈漢文大系』ということになります。

 その叢書は、基本的な中国の古典が網羅されているものでして、ある意味で決定版だとおもいます。・・

 
 ただし、実はまだ刊行中でして、叢書は完成されていないのです。

 自分が生きているうちに完結するだろうか、と心配されている方がときどきいらしゃるほどです(笑)。

 すでに百巻以上でておりまして、朱子の『近思録(きんしろく)』も、王陽明の『伝習録』もあります。

 たとえば、『伝習録』は、幕末のころの志士たちや、大塩平八郎ように朱子学を批判する人

 にとっては必読書だった。

 では、なぜ彼らはそれを読んで過激な行動に奔ったのか。

 いったい何が書かれてあるのか。

 人聞きではなく、自分で実際に読んでみることが、大切だとおもいます。

 どこかで入り口がみつかりますと、中国史、中国学というのは、『新釈漢文大系』のように、

 十年や二十年ではなく、四十年、五十年単位で楽しめる大きな世界なのです。≫





<目次>
自作解説 三国志の世界
(『三国志』の沃野に挑む―大歴史絵巻の豊穣なる世界
曹操と劉備、三国志の世界―正史からみえてくる英雄たちの素顔
『三国志』の可能性―歴史は多面体だからこそおもしろい
『三国志』歴史に何を学ぶのか―構想十年、執筆十二年の大長編を終えて)
対談 歴史小説を語る
(水上勉―歴史と小説が出会うところ
井上ひさし―歴史小説の沃野 時代小説の滋味
宮部みゆき―「言葉」の生まれる場所
吉川晃司―我々が中国史に辿り着くまで
江夏豊―司馬遼太郎真剣勝負
五木寛之―乱世を生きるということ)
講義&対談 中国古代史の魅力
(中国古代史入門―どこから学べばいいのか
白川静―日本人が忘れたもうひとつの教養
平岩外四―逆風の中の指導者論
藤原正彦―英語より『論語』を
秋山駿―春秋時代から戦国時代へ
マイケル・レドモンド―碁盤上に宇宙が見える
項羽と劉邦、激動の時代―ふたりを動かした英雄たちと歴史的必然)
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井波律子「三国志名言集」

岩波書店

2005年刊


 

桃園結義・・

≪同年同月同日に生まるるを求めず、

 但だ同年同月同日に死せんことを願う。≫ 



曹操評・・

≪子(し)は治世の能臣(のうしん)、

 乱世の奸雄也。≫



曹操が董卓暗殺に失敗し逃亡途中でつかまった時、関所の役人に言った言葉・・

≪燕雀安(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや。≫

 小人に英雄の志などわかるはずがない。



水鏡先生が、不遇続きの劉備に言った言葉・・

≪伏竜・鳳雛、

 両人の一(いつ)を得れば、

 天下を安んず可し。≫



孔明を得た劉備の喜び・・

≪吾れ孔明を得たるは、

 猶(な)お魚の水を得たるがごとし。≫




荊州を得た劉備へのアドバイス・・

≪馬氏の五常(ごじょう)、

 白眉最も良し。≫

 馬氏の五常のうち、白眉(馬良、あざなは季常)がいちばんよい。



 後半は、「出師の表」が紹介されています。




≪死せる諸葛、

 能く生ける仲達を走らす。≫





<目次>
1 得て何ぞ喜ぶに足らん、失いて何ぞ憂うるに足らん
2 忠言は耳に逆らう
3 酒に対いて当に歌うべし。人生幾何ぞ
4 既に隴を得て、復た蜀を望まんや
5 竹は焚く可くも、其の節を毀つ可からず
6 天数 茫茫、逃がる可からず


井波律子「キーワードで読む「三国志」」

潮出版社

2011年刊



 本書、もともと愛蔵版の横山光輝『三国志』の巻末に三十回にわたって連載された
 
 「三国志通講座」と潮出版社ウェブマガジン「三国志通講座」を合わせたもの。




 『三国志演義』の校訂者として知られる清の毛宗崗(もうそうこう)は、

 「三絶(三人の傑出した人物)」が登場すると述べ、

 「智絶(知恵のきわみ)」の諸葛亮、

 「義絶(義人のきわみ)」の関羽、

 「奸絶(悪人のきわみ)」の曹操

  の三人の名をあげる。




 『異相』・・

 『三国志演義』においては、

≪並はずれた異相もプラス方向の容貌魁偉や美貌の場合には賛嘆され、格好いい見せ場が

 設定されるが、

 マイナス方向の醜怪の場合、曹操は例外としても、概して踏んだり蹴ったり、

 哀れな最期を遂げることが多い。≫ 

 ・・龐統や張松や哀れ(>_<)




 『裏切り者』・・

≪三国志の世界の裏切り者、呂布、孟達、魏延に共通するのは、

 裏切りは癖になり、繰り返すうち、ますます倫理観が麻痺して、

 ついにはみずから墓穴を掘り自滅にいたるというパターンである。
 
 裏切りはけっきょく裏切った者自身を根底から蝕み崩壊させるといえそうだ。≫



 一方、『異相』や『裏切り者』と異なり、すがすがしいものとして、

 『若武者』の記述はこうです。

≪冠の玉(ぎょく)のような顔(かんばせ)、

 流星のような眼、虎の体に猿のうで、

 彪(ひょう)の腹に猿の腰をした若い将軍が、

 手に長い槍を持ち、駿馬にまたがって、陣のまんなかから飛び出して来た。

 この武将こそ馬騰の息子、馬超、あざな孟起であった。

 年は十七歳になったばかり、

 無敵の豪勇の持ち主である。≫






<目次>
序章 「三国志」について
第1章 「人」を読む
第2章 「戦」を読む
第3章 「社会」を読む


井波律子「三国志曼荼羅」(岩波現代文庫)

2007年刊



 最近読んでいるのは、もっぱら三国志関連の書籍です。

 その中でも、高橋和巳さんを先輩という井波さんの本を順に手にとっています。


○諸葛亮はなぜ蜀を選んだのか?

≪諸葛亮は、「益州は地盤堅固であり、豊かな平野が千里も広がる『天府(天の庫)』です。

 高祖(劉邦)はこれをもとに皇帝になりました」とも述べている。


 つまるところ、諸葛亮が劉備の自立の拠点として蜀に着目したのは、

 第一に、まだ曹操も孫権も手をつけていない唯一の地域であるという現実的・戦略的条件、

 第二に、地勢堅固で物産が豊かであるという地理的・経済的条件、

 第三に、前漢の高祖の拠点だったという歴史的条件を兼ね備え、

 まさに三拍子そろった絶好の地域だったからにほかならない。


 この後、劉備の軍師となった諸葛亮は天下三分の計を実現すべく、知略の限りを尽くす。≫




<目次>
第1部
(三国志の英雄たち―曹操と劉備
三国の組織構造
曹操と清流派―もう一つの三国志
曹操をとりまく女性たち
三国時代の詩人たち―曹操・曹丕・曹植
曹操姦雄伝説の形成
魏の諸葛一族)
第2部
(周瑜伝
諸葛孔明
蜀の五虎将軍
関羽の部将
諸葛亮はなぜ蜀を選んだのか)
第3部
(陳寿の「仕掛け」
民衆世界の三国志
湖南文山『通俗三国志』
日本人と諸葛亮
私にとっての『三国志』
乱世の群像―三国志の人々
三国志世界の末裔たち
三国志の美将たち―『三国志』から『三国志演義』へ)

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大野一道「ミシュレ伝 1798‐1874―自然と歴史への愛」

藤原書店

1998年刊



 ジュール・ミシュレは、1798年8月21日、パリ、
 
 トラシー街16番地に生まれた。

≪ジュールは洗礼を受けていない。

 革命の余波さりやまぬ当時、すべての教会は閉鎖されていて、

 翌1799年12月にならなければ開かれないからである。≫

 幼児洗礼を受けられなかったことが、ミシュレの宗教観に、
 何か決定的な影を投じている。

 また、父親は印刷所を営業していたが、1812年、ナポレオンの政令
 により、活動停止に追い込まれる。
 反政府的な言論活動を少しでも抑圧したいナポレオンの意向により、
 一家は収入を断たれ、困窮に陥る。

≪貧しく育ち、革命の理想を父からたたき込まれていたミシュレが、
 めぐまれない人や、時の王政復古という反動政権に反抗する人々に対し、
 深い共感を抱いていたことはまちがいない。≫



≪歴史教師とは、自分として新しい見方なり事実の発見をすることなく、
 これまでに分かっていることを、分かりやすく生徒に伝える働きをする人間と考えよう。

 歴史研究家とは、何らかの個別事項に関して新しい見方なり発見なりをした人、
 あるいはなそうと日夜努力している人と考えよう。

 歴史家とは、独自の世界観のもとに人間の歴史全体の意味なり意義なりを
 説くことのできる人と考えよう。≫ 

 ミシュレの中には、この3つが併存していた。
 
 社会的には、教師でありながら、研究活動を行い、やがて歴史家となった。 
 

 
 『フランス史』の「序文」にて・・

「私はヴィーコのみを師としていた。

 生きた力に関する彼の原理、人類は自らを創造するというその原理が私の本と教育とを
 作った」

「彼はデカルト主義を攻撃した。

 単にそのドグマチックな部分のみではなく・・その方法に関してもである。」

 デカルトは、「歴史の研究を嫌悪し、人類の共通感覚を軽蔑し、個々人の知恵に
 ゆだねられるべきものを技法へと還元することにこだわり、
 幾何学的方法を、厳密な証明を含むことの最も少ないものごとにも適用しようとした等
 を攻撃した」

「しかしヴィーコはデカルト主義の恩恵も認めていて・・
 
 『われわれは真実の判定基準を個々人の感覚においたデカルトに多くを負っている』

 とも述べている。」

 つまり、デカルトは、中世的な呪縛を断ち切り、自己の頭で自由に考えて真偽を判定する
 近代的精神を生み出した点で、絶大なる功績を持っている。

 しかし、純粋意識の絶対化をはかることになったため、
 歴史性、つまり物事の時間内での生成という現実を見失い、個々人を超え、ある種共通の
 感覚をもって人類が集団として生きているという現実も見失ったという点を、
 ヴィーコは認めなかった。

 ミシュレは、ヴィーコとの出会いを通して、歴史家の世界観を手に入れた。




 『世界史入門』のおいて、

「この小さな本は」「世界の歴史を、自由を求める戦いとして、運命的世界に対する自由
 の不断の勝利として、要するに永遠の7月(革命)としてながめるものだった。」


 『フランス史』においては、

 ミシュレはフランスを「一人の人として眺めた」

 つまり「フランスがフランスを作った」のであり、
 「フランスは自らの自由が生み出した娘」だからである。



 
 「進歩は決して持続した直線的なものではない。
 
  それは螺旋状の線を描いている」
 
 歴史は、前進と後退を繰り返しながら、

 しかし長い目で見れば、何らかの方向・・自由と平等へと動いている。




 「しっかりした学識の上に乗った想像力」・・これがミシュレの特色だった。




<目次>
少年ミシュレ―『覚え書』を中心に
青春の肖像―初期の『日記』を中心に
若き教師の歩み
歴史家として立つ
『フランス史』の世界―(中世
ルネサンス以降)
栄光への道の陰で
危機を越えて原点へ―「民衆」の発見
革命、この永遠なるもの―『フランス革命史』を中心に
騒乱の中で恋が…そして新しい生へ
大いなる自然の発見
歴史と自然とを結んで―晩年の日々

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