観光

細野晴臣・中沢新一「観光」

角川書店

1985年刊


 
 28年前の細野さんと中沢さんのパワースポットの「観光」めぐりですが、

 いまその跡を辿り直しても、十分楽しめると思います。




戸隠神社・・

【見どころ】
なんといっても雪の季節に、かんじきを足にはめて奥の院めざして
歩くのをおすすめしたい。
戸隠山の天岩戸にあらわれた神々の顔をながめながら、
ひたすら歩く境地は無心無想のきもちよさがある。
帰りに大久保茶屋で山菜の天ざるを食べるのがなんといっても
物見遊山の醍醐味といえよう。


 戸隠の戸は、完成を意味する。
 だから、戸隠とは、完璧を封印するという十字架を意味する?!





富士での会話・・

≪今までの知性がダメだったのはS(サディズム)だったからでしょ。

 例えば「真理」っていうのはこれもSなんだけどさ(笑)、

 現実はわけわかんないもんなんだけど、言葉にしちゃうとこれが「真理」だ≫(中沢)

 って、書き手から読者に渡されてしまう。ここにSM構造ができてしまう。

 これからは、マゾヒズムの時代かもって?!
 
 数年前の民主党政権下だとそんな気分にも同意できたかもしれませんが、

 この1年でそんな気分はなくなりました。
 


 ところで、今度富士に行くなら、

 加門七海さんの「鍛える聖地」で紹介されていた

 「お中道(ちゅうどう)」を、大沢崩れまで往復するというコース

 を歩いてみたいですね~







<目次>
第1章 天河(天河大弁財天社)
第2章 戸隠(戸隠神社)
第3章 六本木
第4章 大山(大山阿夫利神社)
第5章 豊川(豊川稲荷)から伊勢(伊勢神宮)
第6章 富士(北口本宮富士浅間神社)
番外
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中沢新一「悪党的思考」(平凡社ライブラリー)

1994年刊
 


 網野善彦さんの『異形の王権』を踏まえて・・



 後醍醐天皇は、崩壊の危機に瀕していた中世的な権力の構造を、

 天皇の政治的・宗教的な権威を中心にして改革しようとした。


 後醍醐天皇は、畿内を中心に活動していた商人たちのすべてを、

 天皇に直属する供御人に組織しようとした。

 さらに、自らの貨幣を鋳造することによって、

 「富」の発生する境界場を掌握し、あらゆる商人を宗教的な回路

 をつかって直属民にすることをとおして、商業という「力」の場を、

 いっきにとりおさえようとした。


 後醍醐天皇は、悪党と商人と職人と古代的宗教者と、

 「職人的なるもの」の持てる力を総動員しようとしていた。


 一方の武士は、農業的な世界をバックにしていた。 

  
 しかし、後醍醐天皇の新政が挫折した後、

 それまでの「自然」「富」「神」などの再構成、再配分がなされ、

 均質な空間としての「日本」が作り出されることになった。





<目次>
歴史のボヘミアン理論へ
真言立川流と文観
春画―ピュシスか、テクネーか?
妖怪画と博物学
市場の言葉のアルチザン―宮武外骨論
江戸の王権―そのアルケオロジー
一八六八年の王権
異教的モノテイスム
黄色い狐の王


中沢新一「精霊の王」・・金春禅竹『明宿集』の世界

講談社

2003年刊




 金春禅竹の『明宿集』の世界。


 秩序の神、体系の神の背後に潜んでいて、

 芸能と技術の領域で活動する「後戸の神」・・

 シャグジ、シャクジン、シュクジン、ショウグン

 =宿神という精霊的な存在・・

 が、「創造の空間」であることに注目する。

 

 『明宿集』における「翁」は、宿神であり、

 天体の中心である北極星であり、

 宇宙の根源である「隠された王」である。

 芸能の神=精霊の活動。


 「翁」は「存在」と同義である。

 
 猿楽の「翁」は、宿神である。

≪みんなが簡単に「ある=有」と言ってすましている現実の世界は、

 その「ある」のうちに根拠をもっていない。

 「ある」は五感ではとらえることのできない、

 充実しきった「空」の内部から外にむかって突き上がってくる力の動きの、

 その先端部分につながっている。

 潜在的な空間にはちきれんばかりに充満している力が、

 現実世界の仕組みに触れて柔らかく崩れ落ち、広がっていく動きの中から、

 私たちがよく知っている「ある」の世界は生まれてくる。

 だから、「ある」の世界は「空」に根拠をもっている。≫




 宿神=シャクジの空間は、プラトンの言う「コーラchola」

 というものにそっくりである。

 万物の「母マトリツクス」であるコーラは、
 プラトン哲学のいわば「後戸」に出現を果たすものである。






<目次>
第1章 謎の宿神
第2章 奇跡の書
第3章 堂々たる胎児
第4章 ユーラシア的精霊
第5章 緑したたる金春禅竹
第6章 後戸に立つ食人王
第7章 『明宿集』の深淵
第8章 埋葬された宿神
第9章 宿神のトポロジー
第10章 多神教的テクノロジー
第11章 環太平洋的仮説



中沢新一「大阪アースダイバー」

講談社

2012年刊


 内田樹・中沢新一「日本の文脈」以来、手に取っている「アースダイバー」。




 東京を対象にした中沢新一「アースダイバー」が、縄文海進期の6千年前からの歴史



 であったのに対して、大阪はわずか2千年でした。




 冒頭のある2千年前の大阪平野の地図・・

 生駒山から西側は、

 上町台地という幅わずか1キロの土地、天満橋から天王寺、住吉大社までの細長い部分を除くと、

 すべて海の中でした。

 つまり、上町台地のさらに西側の梅田も淀屋橋、本町、心斎橋、なんば、天下茶屋、住之江も、

 また、東側の大阪城公園、森ノ宮、鶴橋、田辺、平野も海の中・・

 この海の中の台地から、いまの大阪が生まれた、といいます。

 淀川の岸部が徐々に積層し陸地・・中州となり、そこに船場がつくられ、商人が拠点を作るようになった。


 この地図、見れば見るほど、なんとも面白いです。

 

 生駒山麓には、古い縄文系の系譜に属する人々の跡が残っている一方、

 大阪のほとんどは、当時の海民・渡来民・・「南朝鮮と西日本にまたがる海洋的な

 共通文化をもつカヤ世界の人々」であった。




 なぜ大阪で、商業が発達したか?

 商品の原型は、神へのお供物である。

 古代社会では、どんな生産物にも、それを生み出した土地や所有者の霊力・タマが
 宿っていると思われていた。そのため、自由にモノを売り買いすることは難しかった。
 モノの所有の移動がおこるとき、モノと一緒にタマも移動した。

 ところが、神へのお供物に選ばれたモノは、もはや人間の所有には属さなくなる。
 供犠の儀式に献上されたものは、無縁のモノとなる。
 
 商人は、この無縁となったモノ、商品を扱った。


 八十島のナニワの一角につくりだされた「船場」・

≪都市の魅惑は、その奥にひそんでいる無縁の原理が、かもしだしているのだ。≫


 また、無縁という言葉は、もともと墓所をあらわしている。無縁地。

≪徳川期にキリスト教の信仰が厳しく禁止されると、千日前の墓地には、

 公民権を奪われ非人に落とされた、たくさんの「転ぶキリシタン」が流れ込んできた。

 ・・

 女性たちは流れ流れて、千日前墓地にたどり着き、そこで非人の男を

 見つけて夫婦になることができた。≫


 


 中沢新一・坂本龍一「縄文聖地巡礼」



 中沢新一「野生の科学」稲荷山、甲州、熱海のアースダイバー




<目次>
プロローグ 融通無碍の都市=大阪へ

第一部 プロト大阪

第二部 ナニワの生成

第三部 ミナミ浮上

間奏曲

第四部 アースダイバー問題集

appenndix 河内・堺・岸和田--大阪の外縁

エピローグにかえて


中沢新一「緑の資本論」

集英社

2002年刊





 宮沢賢治が、寓話『氷河鼠の毛皮』で、イイタカッタコト・・

≪宮沢賢治はロシア革命の実現の頃に生きていた人であるから、

 人間が自らの能力で社会的非対称(不平等)を覆して

 社会に対称性の倫理を回復していくことは可能であるという、

 人々の抱いていた美しい夢想のこともよく知っていた。


 しかし、たとえ理想のコミュニズムの実現によっても、

 世界の根源的な非対称は解決されることはない。

 圧倒的な非対称性によって支えられている今日の文明は、

 潜在的なテロの脅威を抱えつつ繁栄を享受しようとするために、

 文明の奥深い舞台裏ではたえまない無法な弾圧や殺戮がくりかえされる

 ことになるのだ。≫




 ところで、

 そもそも非対称を生まない社会とは可能なのだろうか?


≪資本主義の発達の基底には、無限の欲望を促す貨幣の働きがある。≫

 しかしながら、

≪イスラームは(その原理においては)いっさいの妥協なしに、
 利子を厳禁している。≫


 利子・利潤の発生を倫理的禁止という形を通して、抑制しようと試みてきた。

 そのため、資本主義の形成が、長いこと起こらなかった。

 利子は、資本主義の原子(アトム)である。

 この原子を発生段階で抑制してきたのが、イスラームの貨幣制度だった・・のではないか。




 はたしてイスラーム経済が、資本主義を超えるのか?
 
 
 
 

<目次>
圧倒的な非対称
緑の資本論
シュトックハウゼン事件
appendix モノとの同盟

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