網野善彦・鶴見俊輔「歴史の話」(朝日選書)

朝日新聞社




○日本の資本主義の起源

 江戸時代後期の日本の寺子屋教育は、
 同時代のイギリス、フランスを超えていた。

 幕藩制度の中の勘定方という小役人が、
 海外の諸国と交通を管理する為替管理を処理する方法、
 計数管理能力を身に着けていた。

 経営能力の源流は、13世紀後半から14世紀ぐらいの
 荘園や公領の請負人にあった。

 また、同時期に企業家があらわれていた。
 禅宗や律宗の僧侶が、勧進聖(かんじんひじり)になって寄付金を集めた。
 関所を立てて、関所料を取り、将軍や天皇の許可を得て、一軒一軒から
 十文ずつ棟別銭(むねべつせん)を徴収し、巨額な資本を集める。
 そして、唐船をつくり、中国に貿易に行き、
 大量の陶磁器や銅銭を持ってきる。
 その利潤をさらに資本とし、橋を架けたり、港を修築したり、
 寺院を造営するなどの土木工事をやる。

 当時は、勧進上人が企業家として、公共事業をやっていた。

 延暦寺の山僧も金融業をやっており、
 彼らは、帳簿管理の技術も持っていた。



○蒙古来襲の理由

 モンゴルが九州に襲来したのと同じころ、
 13世紀後半にサハリンにも4度攻め込んでいた。
 なぜ侵入したのかというと、
 あの時点でアイヌがサハリンから北東アジアまで入って交易を活発に
 やりはじめており、そこで元と衝突した。




 宮本常一『日本文化の形成』



<目次>
1 歴史を多元的にみる
(国民の生活から離れる知識人たち
「烏合の衆」が秘める思想的な強さ
わからない問題がたくさんある
「お前は何民族だ?」と聞かれたら
ずっと秀才だった人間の思い込み ほか)
2 歴史を読みなおす
(「意味の重層性」を欠く日本の学術語
歴史的変化の中で揺れる文字の面白さ
山中共古と『東京人類学雑誌』
いま崩れようとしている「百姓は農民」像
襖の下張りに潜んでいる事実 ほか)
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網野善彦「続・日本の歴史をよみなおす」(ちくまプリマーブックス)

1996年刊



 「お百姓さん」とは誰のことか?


 従来は、「農民」のことだ、と思われていましたが、
 
 非農業民を含む、人々を含んでいる言葉だった。
 
 奥能登の百姓、時国家の場合、
 
 大船を持ち、日本海を舞台に交易を行い、
 
 製塩、製炭、山林や鉱山を経営し、蔵元として金融業も営んでいた。
 
 でも、大農場がなかったため、頭振(あたまふり)、水呑(みずのみ)と呼ばれていた。


 水呑とは、「土地を持てない」人ではなく、
 
 「土地を持つ必要がない」人もたくさんいた。




 7世紀に日本国が成立して以降、1300年ほどの歴史の中で、

 14世紀から16世紀にかけての時期を除き、
 
 他のすべての時期を通じて、「農は国の本」「農は天下の本」という
  
 百姓が農民として健全な姿であるという農本主義が国家の側から
 
 人民に吹き込まれてきた。
 
 国家にとっては、土地に租税を課していたため、百姓が農民であってほしかった。




<目次>
第1章 日本の社会は農業社会か
第2章 海からみた日本列島
第3章 荘園・公領の世界
第4章 悪党・海賊と商人・金融業者
第5章 日本の社会を考えなおす


網野善彦「日本の歴史をよみなおす」(ちくまプリマーブックス)

1991年刊



 網野善彦「無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和」(平凡社ライブラリー)の中で、
 
 網野さんが、高校の歴史教師だったとき、生徒からの質問に満足に答えられなかった質問、

 「なぜ、平安末・鎌倉という時代にのみ、すぐれた宗教家が輩出したのか?」

 という問いへの答え。



 14世紀の南北朝の動乱の中で、日本社会における権威の構造が大きく変わる。
 
 その結果、聖なるものによって特権を得ていた技術者たちが没落していく。
 
 そのため、鎌倉時代の仏教が担ったこととして、

 一つは、「非人」の救済であり、
 
 もう一つは、律僧による勧進(かんじん)、寄付金集めから、寺院の建設、中国大陸との貿易までを
 行った。
 
 旧来、マジカルな神仏の権威に支えられていた商業・交易から、
 
 新しい考え方による商業・金融を担いはじめた。
 
 
 また、浄土宗や一向宗、時宗、日蓮宗、禅宗、律宗などの「鎌倉仏教」は、
 
 悪人、非人、女性にかかわる悪、穢れの問題に、
 
 それぞれ正面から取り組もうとした宗教であった。
 
 それが、16、17世紀までに、世俗の権力によって徹底的に弾圧されたり、
 
 骨抜きにされていく中で、
 
 被差別部落や遊郭、「やくざ」つまり、非人や遊女、博打打に対する差別が定着していくことになった。
 
 
 



<目次>
第1章 文字について
第2章 貨幣と商業・金融
第3章 畏怖と賤視
第4章 女性をめぐって
第5章 天皇と「日本」の国号


網野善彦「無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和」(平凡社ライブラリー)




 高校の歴史教師だったとき、生徒からの質問に満足に答えられたなかった

 「日本の歴史の中で、なぜ天皇は滅びなかったのか?」

 「なぜ、平安末・鎌倉という時代にのみ、すぐれた宗教家が輩出したのか?」

 という問いへの、数十年後の網野さんが出した答え。




 無縁・公界・楽市という空間には、自由があり、アジールだったのではないか、

 という仮説です。

 
 ただし、縁切り寺のような例をみると、

 これは≪裏返された「自由」の場≫であり、

 「牢獄」の自由に似ていたのかもしれません。

 でも、身分制度の強固だった江戸時代においてさえ、縁を切って、

 新しい人生をリスタートさせる場が存在し、

 戦国時代まで遡れば、夫婦の縁だけでなく、

 主従の縁、貸借関係の縁まで、切る力があった、といいます。


 無縁・公界・楽でのルール・・

 1.不入権

 2.地子・諸役免除

 3.自由通行権の保証

 4.平和領域、「平和」な集団

 5.私的隷属からの「解放」

 6.貸借関係の消滅

 7.連座制の否定

 8.老若の組織


 世界史的にみても、西欧の自由都市は、そこに逃げ込んだ農奴が
 1年と1日、居住すれば、自由な身分として解放されるという慣習が
 確立していました。


 しかしながら、
 江戸時代に入るとともに、

 楽は、信長・秀吉に牙を抜かれてとりこまれ、消え去り、

 公界は、苦界に転化し、

 無縁は、無縁仏のように淋しく暗い存在になっていった。 
 






<目次>
「エンガチョ」
江戸時代の縁切寺
若狭の駈込寺―万徳寺の寺法
周防の「無縁所」
京の「無縁所」
無縁所と氏寺
公界所と公界者
自治都市
一揆と惣
十楽の津と楽市楽座
無縁・公界・楽
山林
市と宿
墓所と禅律僧・時衆
関渡津泊、橋と勧進上人
倉庫、金融と聖
遍歴する「職人」
女性の無縁性
寺社と「不入」
「アジール」としての家
「自由」な平民
未開社会のアジール
人類と「無縁」の原理


網野善彦「異形の王権」(平凡社ライブラリー)

1993年刊





 「異類異形」・・一種の妖怪、鬼、鬼神などを形容する。

 鎌倉後期以降、しばしば人間の服装、姿態などについて、

 否定的・差別的な意味で用いられるようになる。


 近世社会の差別の問題は、単に「穢多・非人」のみにとどまらず、

 「異類異形」とされた人々の中で考えられなくてはならない。


 
 南北朝期は、悪党が跳梁し、「婆娑羅」の風が風靡し、

 異類異形の姿は、むしろ大いに好まれた。

 
 また、中世前期までは、童あるいは童形の人は、

 「聖なる存在」として、人ならぬ力を持つとされていた。



 飛礫は、中世前期・古代後期においては、
 
 呪術的・神意的な意味を現実に持ちつつ、

 社会の中に広範囲にわたって躍動していた。



 後醍醐天皇の政治・人事は、

 古代以来の議政官会議-太政官の公卿の合議体を解体し、

 「個別執行機関の総体を天皇の直接掌握に入れること」を

 「最も基本的な改革目標」としていた。


 この後醍醐天皇の右腕であった「異形」の僧正・文観は、

 「職人」的武士の楠木正成、

 「悪党」、非人までを動かし、

 邪教とまでいわれたような異様な祈祷や呪術を駆使した。


 しかし、後醍醐天皇の新政の頓挫により、

 それまでの天皇に多少ともうかがわれた「聖なる存在」は、

 失われた。

 神仏に仕える女性としての、天皇家・貴族との婚姻も普通のことであった

 遊女は、南北朝以降、社会的な賤視されはじめた。




PS

 中世日本において、女性の一人旅が普通に行われていた、といいます。

 しかし、それが可能だったのは、

≪私はこうした一人で旅をする女性の場合、

 性が解放されていたのではないか、と考える。≫

≪一人で旅をする女性が、男に「捕られる」ことをむしろ

 当然とする慣習があったことを前提にしなくては理解できない

 ことではなかろうか。≫と網野さんはいいます。

 「性が解放されていた」とは、あまりな解釈では、と思います(>_<) 







<目次>
異形の風景
(摺衣と婆娑羅―『標注 洛中洛外屏風 上杉本』によせて
童形・鹿杖・門前―再刊『絵引』によせて
扇の骨の間から見る)
異形の力
(蓑笠と柿帷―一揆の衣裳
飛礫覚書
中世の飛礫について)
異形の王権―後醍醐・文観・兼光

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