阿部謹也「中世を旅する人びと―ヨーロッパ庶民生活点描」(ちくま学芸文庫)





 中世の旅人は、現在と異なり、とても危険な目にあうことを覚悟しなければならなかった。

 道路は整備されず、倒木や土砂崩れ、結氷、洪水などが残り、

 盗賊に襲われる危険も多かった。

 道標も不備であり、分かれ道は、そのつど、その人の運命を左右した。

 

≪旅人は他国の森や林を通って未知の街道を歩かねばならない。

 それはさまざまな霊が支配する空間を通過することを意味する。≫

 村の入り口で出会った黒犬は、自殺者の霊か、魔法にかけれらた人間の姿とみた。

 特に、十字路は、良き霊と悪しき霊が集まる場所と考えられ、
 
 十字路に経つと、霊の力で未来が見えるといわれた。





 中世の職人は、そんな中、遍歴した。

≪遍歴は十八、九世紀には青少年の人格陶冶の手段とみなされていた。

 実際に多くの同職組合規約では職人の遍歴の目的を、

 「若く未経験な職人が他国でいわば他人の飯を食い、

  新しい技術を習得するため」としており、

  親方になるなる前の修業の旅と位置づけられていた。≫

≪だから「遍歴こそ職人の大学だ」とすらいわれたのである。≫

 




<目次>
1 道・川・橋
2 旅と定住の間に
3 定住者の世界
4 遍歴と定住の交わり
5 ジプシーと放浪者の世界
6 遍歴の世界
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阿部謹也 読書の軌跡

読書の軌跡

阿部謹也「読書の軌跡」

筑摩書房

1993年刊



 阿部謹也さんによる書評集。
 
 大作が多いので、少しずつ手に取っていきたいと思います。
 
 
 


 ハーマン・メルヴィル『白鯨』


≪訳者の田中西二郎氏の解説によると、流行作家であったメルヴィルはこの小説を
 書いたためにその地位を失い、文壇から消えていったという。・・

 流行作家が売れる本を書くことに飽きて、
 本当に書きたいものを書くためにあえて恵まれぬ晩年を甘受したという話は
 若い私には強く訴えるものをもっていたからである。≫






 「1588年にイギリス軍はスペインのアルマダ艦隊を破ったというは易い。
  しかし誰が船酔いや下痢のために苦しみ、漕げなくなって非情な海に投げ出された
  ガレー船の漕手のことを語るだろうか」(ブルクハルト)






 ヘルマン・ハインペル『小さな提琴、首府のミュンヘンの一少年』

≪人間は一生のどの段階においても完成したものであり、
 どの時期にも星が瞬き、どの年代においても大きな恵みが用意され、
 何時でも愛によって生きる。≫






 フィリップ・アリエス『<子供>の誕生』


 ヨーロッパにおいて、家族の絆が意識されはじめるのは、
 12、13世紀以降であり、16、17世紀になってはじめて私的な交わりの
 場としての家族が成立した。
 それまでは、家は多くの他人を交えた半ば公的な生活の場であった。
 だから、子供も立って歩き始めれば、小さな大人として扱われ、一緒に仕事をした。

 16、17世紀になって、子供の存在が、大人と異なる無垢なものであり、
 大人の汚れた世界から隔離しなければならないという考えが生まれた。



 フィリップ・アリエス『死と歴史』


 キリスト教が普及する以前と以後の死生観の違い。

 古ゲルマン人は、円環的時間意識の中で生き、死後も現世と同様にヴァルハラで
 生活しうると考え、動産や家畜などを墓に携えていった。

 一方、キリスト教においては、直線的時間意識のなかで生きることを強要され、
 現世は一回生を受けるだけ、死ぬときも一人。死後は天国や地獄や煉獄に行く
 運命にあると考えざるをえなくなった。

 彼らが恐れたのは、死そのものよりも、死後の罰。
 死後の罰を怖れる人々から、圧倒的な財を集めたのが教会であった。
 


 フィリップ・アリエス『死を前にした人間』



 ノーマン・コーン『シオン賢者の議定書』
ユダヤ人世界征服陰謀の神話 シオン賢者の議定書(プロトコル)

≪・・少数派の狂信的行為と多数派の無関心が結びついたとき
 民族殺しが可能となったという著者の発言には耳を傾ける必要があるだろう。≫




 池上俊一『歴史としての身体』

≪人間が世界を捉え、理解しようとするとき、その基準は自己しかない。
 現代の社会には自己以外の基準らしきものがあまりに幅をきかしているために、
 世界を捉える基準が人間自身であるということはともすれば忘れられている。≫




 テツオ・ナジタ『懐徳堂』


「人は誰でも身分をとわず固有の徳をもっており、
 正しくものごとを理解する能力がある」という理念のもと、

 武士などのエリートに独占されていた学問を、農民や商人に開かれたものにした。

≪身分をとわず、個人の能力で選別せず、誰にで門戸を開いた教育・研究の機関
 としての懐徳堂が基本的には宗教を排し、合理的な思考を育てようとし、
 日常生活の中にすべての思想の源泉を見ようとしていたことが十分に描かれている。≫



トマス・プラッター「放浪学生プラッターの手記―スイスのルネサンス人」

訳 阿部謹也

平凡社

1985年刊




 1499年、スイス生まれのトマス・プラッターの自伝。

 1572年1月28日から、16日間で書かれたもの。



 貧しい家に生まれ、幼くして父は亡くなり、母は再婚し町を出る。

 そのため、プラッターは、6歳で山羊番として働くが、何度か死ぬ目に遭います。

 その後、放浪するひよっ子となる。

 ひよっ子は、乞食をして食べ物をもらうが、みな学生に召し上げられた。

 面白いのが、校長は生徒にしようとするが、それを断り、

 学校の床の上で眠り、放浪を続けたこと。



 それでも、チューリッヒで貧乏生活を送っていた時、

 ある家に家庭教師として雇われ、食事をごちそうになるようになる。

 この機会に、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語を同時に学ぶ。

 この時の猛勉強ぶりがすごい。

≪ほとんど眠らずに夜を過ごすことも多く、

 睡魔と戦うために大変な苦労をした。

 しばしば冷たい水を口に含み、生の蕪や砂を口に含んで、

 万一眠りこんでも砂が口の中でザラザラしてすぐに目が覚めるように

 しておいた。≫


 こんなプラッターさんのもとへ、ヘブライ語を学びたいという説教師が教えを請いにきます。

 その人の家で、文法書を読み、ヘブライ語の聖書と対照し、一緒に練習します。

 そこに、80歳ぐらいでヘブライ語を学びたいという老人がきたので、
 教えに行ったといいます。

 
 これが16世紀の話とは正直驚きでした。




≪私の出身身分は大変低いにもかかわらず、
 神は名誉を与えてくださり、この有名な町バーゼルで大学の外の
 ギムナジウムを31年間にわたって統率し、そこで多くの高位の
 人びとの指定を教育し、多くの博士や学者、所領の領民や所領を
 支配する貴族の子弟や裁判所の判事や市参事会員となった者たちを
 育てたのである。≫





阿部謹也「ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界」

平凡社

1974年刊




 1284年6月26日、ハーメルンの町から130人の子どもたちが

 行方不明になった。

 この事件の背景にあるハーメルンの人びとの悲しみと苦しみは

 いかなるものであったか。


 阿部謹也「自分のなかに歴史をよむ」(ちくまプリマーブックス)



 さまざまな説のうち、有力なものは、

 東欧、ポーランド、チェコ、ハンガリーへの入植であったというもの。

 たとえば、ハーメルンからトロッパウへの道は600キロもあり、

 もし無事に辿りついたとしても、そこにあるのは未開の原野であった。

 そのため、最初の冬を過ごすための食料や資金を持っている必要があった。

 つまり、食い詰めた人々ではなく、かなり余裕のある層で、
 十分な計画をもって村を離れた。

 12~13世紀のヨーロッパは激動の時代であり、
 商業の復活と遠隔地貿易再開により、
 先祖伝来の領主に代わって、新参者が新しい領主として君臨するようになった。

 「この村はもう俺の村ではない」と思った農民が多数いた中、
 東部から勧誘を受け、先祖伝来の地を棄て旅だっていった。


 ただし、

 ハーメルンの場合、人口増と慢性的な土地不足の中、

 下層民の子どもには、もはや新家庭をもって独立した家計を営む可能性がなかった。


 当時のハーメルンの130人は、近代のハーメルンなら2000~2500人の
 若者が突然消えてしまうほどの比重を占めていた。


 
 


<目次>
第1部 笛吹き男伝説の成立
(笛吹き男伝説の原型
1284年6月26日の出来事
植民者の希望と現実
経済繁栄の蔭で
遍歴芸人たちの社会的地位)
第2部 笛吹き男伝説の変貌
(笛吹き男伝説から鼠捕り男伝説へ
近代的伝説研究の序章
現代に生きる伝説の貌)






阿部謹也「中世の星の下で」(ちくま学芸文庫)



 ヨーロッパ中世の人びとは何を思い、どのように暮らしていたのか、

 を描いた35編の論考。



 
 ヨーロッパの知識人のあこがれの引退生活は?

 
 「羊飼いの生活をしたい」

 という返事がかえってくることがある。

 オルテガ・イ・ガゼなどもそうだったそうな。





お風呂・・

≪一日楽しく過したければ風呂へ行け。

 一月を楽しく過したければ豚一頭を屠り、

 一年を楽しく過したければ若い妻を娶れ。≫(16世紀)


≪中世の浴場は公的な場であって、殺人をおかした者は罪を贖ったのちでも

 被害者の縁者が入浴している浴場に姿を見せてはならなかった。≫

 浴場で争いあってはならず、盗み死罪となった。

 浴場は平和の場とされていたからである。

 債務を負って債務者から追われているものも、浴場内にいる限り

 捕えられることはなかった。平和領域アジールでもあった。

 しかし、このような浴場は、木材価格の急騰と梅毒の流行という直接原因とともに、

 人と人との関係を規定していた公的な権威の変質があった。






メメント・モリ・・

 15世紀に「死を思え」の叫びがヨーロッパの人びとの胸中に、

 諦念と恐怖を植え付けたのはなぜか?



 中世における死の原因は、

 自然的原因としては、病気、老衰、暴力による事故死などとももに、

 超自然的原因があった。呪術、死霊、死者の招きなど。



 ヒステリックなまでの死の恐怖、「死の幻影」は、

 中世社会の秩序が崩壊していき、

 衰退の運命を味わわされつつあった貴族社会とキリスト教の悲鳴と
 みることもできる。





遠かった書物・・

≪ハルツの砕石工は、1860年に六巻本のシラー著作集を買うのに、

 四週間分の収入をあてなければならなかったし、

 十九世紀初頭にベルリンの読書教会に入ろうとした労働者が

 年会費十二~二十ターレンを払うと、年収の十~十五パーセントが

 とんでしまったという。≫

 いまがいかに恵まれた時代であることか!


 以前、成毛さんが、年収330万の頃、7割が本代だったという話が
 きいて驚いたことがありましたが、 

 ハルツの砕石工、偉いですね!!!

















<目次>
1 中世のくらし
(私の旅 中世の旅
石をめぐる中世の人々
中世の星の下で ほか)
2 人と人を結ぶ絆
(現代に生きる中世市民意識
ブルーマンデーの起源について
中世賎民身分の成立について ほか)
3 歴史学を支えるもの
(ひとつの言葉
文化の底流にあるもの
知的探究の喜びとわが国の学問 ほか)

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