プラトン「エウチュプロン」

 訳は、山本光雄。


 「エウチュプロン」
 
 ・・・ソクラテスが公訴された直後の話で、「ソクラテスの弁明」に続きます。

 友人のエウチュプロンが、
 ソクラテスが訴えられたことに胸を痛めている。

 しかし、ソクラテスは自分のことよりも、
 当のエウチュプロンが、自分の父親を殺人罪で公訴したことに疑問を示す。

 エウチュプロンの父親は、
 自分の召使が、奴隷と喧嘩して殺してしまったことに腹を立て、
 その召使を縛って溝に投げ込んだ。

 この後の始末をつけるため、解釈人に使いをやりその返事を待っていたが、
 返事がやってきた時には、飢えと寒さのため、その召使が死んでいた、という。

 この殺人事件に対するエウチュプロンの公訴が
 適切なものであるかを、ソクラテスは、

 「敬虔なもの」「不敬虔なもの」とは何かという一見自明なことについて

 対話を通して、明らかにしようとします。


 ソクラテスの誘導尋問に答えながら、
 エウチュプロンは、最初の「はい」と最後の「はい」が
 矛盾したことに気づかされます。

 ソクラテスは容赦なく、対話を続けようとしますが、
 ここでエウチュプロンは大人の対応?!

 今日は急ぎの用があるので、
 またの機会に!
 
 とそそくさと立ち去ります。

 
 ・・で、ソクラテスの公訴への心配はどこかへ行ってしまったのでした。
 というか、最初から心配はなかったのでした。

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プラトン「パイドン 魂の不死について」

 訳は、岩田靖夫。


 「パイドン」

 ・・・ソクラテスの死刑執行の当日。

 死刑執行になりそうな日の早朝、
 友人のクリトンがソクラテスに脱獄を勧めた「クリトン」の続きです。

 
 副題のとおり、「魂の不死について」の議論があります。


 冒頭、友人のパイドンに対して、ソクラテスは、

 若い哲学徒の友人たちへ、自分の後を追って早く死ぬようにと言い残します。

 「人間にとって生きることよりは死ぬことの方がより善い・・」と。

 ちょっとびっくり。


 「哲学者は死を恐れない。

  死とは魂と肉体の分離であり、哲学者は魂そのものになること。

  すなわち、死ぬことの練習をしている者であるのだから。」


 一方、
 「すべての戦争は財貨の獲得ために起こるのだが、
  
  われわれが財貨を獲得せねばならないのは、

  肉体のため、奴隷となって肉体の世話をしなければならないからである。

  こうして、これらすべての理由によって、
 
  われわれは哲学をするゆとりを失うのである。」

 
 肉体の世話ではなく、魂の世話をせよ、というのが結論になるのですが、

 人が死に、肉体が滅びた時、魂はどうなるのか、

 という議論が始まります。


 途中、
 
  大食や好色や酒びたりの生活をしたものの魂は、ロバの種族に入り、

  不正や独裁政治や掠奪を選んだものの魂は、狼や鷹や鳶の種族に入り、

  市民の公共の徳、思慮とか正義を実践したきたものの魂は、
  
  ミツバチとか、スズメバチとか、蟻のような種族に生まれ変わったり、
  
  再び人間に生まれ変わったりする・・・という。


 ソクラテスは、ケベスとシミアスという二人の若い哲学徒を相手に問答を通した結果、

 最後にこういう。
 
 「よろしい、これで、魂が不死であるという点に関しては、証明は完了した、

  と言おうか、それとも、どう思うかね」と問うと、ケベスは、

 「はい、まったく充分に証明されました、ソクラテス」と。

 
 ・・・おいおい、ほんとにそうか???


 でも、魂が不死である以上、

 また魂の世話の度合いによって、来世での生まれ変わりが決まるのだから、

 私たちは、未来永劫、魂の世話をしなければならない。

 
 これって、哲学?!
 
 ではなくて、ソクラテス宗教なんだろうな。



 そうは言っても、

 ソクラテスが毒杯をあおぎ、

 毒が体の隅々までまわるまで部屋の中を歩き回り、
 
 歩くのがつらくなってきて体を横たえて死にいたるシーンは感動します。 





プラトン「クリトン」

 訳は、三嶋輝夫・田中享英。


 「クリトン」

 ・・・「ソクラテスの弁明」の続きです。

 死刑が決まった後、

 ソクラテスは牢獄に収容されます。

 死刑が執行されると思われた朝早く、

 友人のクリトンがやってきて、ソクラテスに脱獄を勧めます。


 「ぼくという人間は、

  ぼくの中にある他の何ものにも従わず、

  ただ論理的に考えてみていちばんよいと思われる言論にのみ従う、

  そういう人間なのだ。

  だから、前にぼくが言っていた言論を、

  今になって、こういう運命がやってきたからといって

  放棄することは、ぼくにはできない。」

 と前置きした上で、


 「いちばん大事にしなければならないのは生きることではなくて、

  よく生きることだ

 
 という言葉で、

 悪法も法であり、従容として死を受け入れます。


 クリトンとの対話を通して、ひしひし感じるのは、

 自身の「死」によって、ソクラテス哲学を打ち立てようとしていることでした。


 はたして、2400年以上経っても、
 読み継がれていることを思うと、その意図は大成功でした。




プラトン「ソクラテスの弁明」

 訳は、三嶋輝夫・田中享英。


「正義のために本当に戦おうとする者は、

 たとえ少しの間でも生きながらえようとするならば、

 公的に活動するのではなく、

 私的なかたちで活動せざるを得ないからです。」

 ソクラテスが、国政に携わり、国政への関与を通ずて行われる不正を拒絶する
理由を述べるところででてきます。
  
 先日のサイードさんのアマリュアリズムの話を読みながら、
どこかで聞いた話だと思って、久しぶりに手に取ったらこの一節だったこと
思い出しました。



 「ソクラテスの弁明」・・・

 とっても有名な話ですが、
 ちょっと振り返ってみます。
 
 ソクラテスが70歳の頃、3人のアテネ市民によって告発される。
 ちなみに、この時、プラトンは28歳ぐらい。

 罪状は、
 「ソクラテスは若者を堕落させ、また国家が崇めるところの神々を崇めずに
  別の新奇な神格を崇めることによって不正を犯している」
 
といいつつ、

 「かれは知らないくせに何か知っていると思っているのに対して、

  私のほうは、実際、知らないとおりそのままに、

  知っていると思ってもいないからです。・・・

  つまり私は自分が知らないことについては、
  
  それを知っていると思ってもいないという点で、

  知恵があるように思えたのです。」

 この<無知の知>で有名なこの一節に基づいて、

 世の中の知恵を持っている人たち、ソフィスト、詩人、技術者たちを論破していきます。
 それも1対1ではなく、若者たちを横に置きながら。
 当然のこと、侮辱された人たちの怒りは大変なものだったと思います。


 当時の裁判、裁判官と500人余の市民による投票によって決められていました。

 よって、情に訴えさえすれば、多分に無罪になる見通しでした。

 しかし、ソクラテスは、情状酌量は断固拒否すると宣言。

 彼独特の「弁明」を滔々としだします。


 <魂の世話>に関するところ・・・他の本でもうちょっと適切な部分があったように思いますが・・。

 「魂に配慮するのと同様の熱心さで、
 
  身体やお金のことを気にかけるべきでもない」

 「財産から徳が生じるのではなく、
 
  徳にもとづいてこそ財産及びそれ以外のものの一切が、

  人間にとって、私的な意味でも公的な意味でも善いものとなるのだ」


 有罪か無罪かを決める第一回目の投票は、

 有罪280 対 無罪220 ぐらいで、有罪となる。


 次に、量刑を決めることになります。

 求刑は、死刑。

 これに対して、被告側から代替する刑を申告し、
 この申告した刑と死刑との表決をはかることになります。

 ソクラテスが申し出た刑は、

 友人からカンパしてもらう予定のわずかなお金と豪華ホテルでの食事会。
 
 ・・これじゃまるで「饅頭怖い」みたい。


 市民の反感をもろに買って、

 第二回目の投票は、

 死刑360 対 わずかなお金と豪華ホテル140

 で、死刑に決定!


 完璧に確信犯でした。

 
 でも、最後の一節は、ホロッとくるのでした。

 「もう出て行かなければならない時間です。

  この私は死ぬために、

  皆さんは生き続けるために。・・・」

「人生は数式で考えるとうまくいく」 の大村あつしさんの新刊が出るそうです。

・・って、4月下旬なので、もう発売されているかも?!

 短編集『エブリ リトル シング』

 短編が6つ収められているのですが、

 そのうちの1編が、大村さんのHPで読むことが出来ます。

 わずか数分で読めるので、一読いただければ!

娘が学校へ行った! 奇跡の作品、「クワガタと少年」


 じわっときますね~。

 もう一回読み返してみようと思います。


 この短編集、直販で申し込むと、
 いまなら盛りだくさんのおまけ付。


 大村さんのサイン本 に加えて、

 特典(計4点):
 (1)「クワガタと少年」の朗読版を漏れなくプレゼント(プロの声優にお願いしたBGM入りの本格的な朗読です。パソコンはもちろん、iPodでも聞けます)
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『エブリ リトル シング』著者サイン本直販企画!


 そろそろGW・・・・といいつつ、
 なか日は出勤になるので、気分転換に申し込もうかな。




江國香織「間宮兄弟」


 先日DVDを借りたので、
 小説も、ようやく読んでみました。


 映画と違って、

 兄弟とも、レンタルショップの直美ちゃんと小学校の依子先生を除く
 
 周りの女性たちから思いっきり引かれている様子が描かれています。


 でも、映画と同様、下のシーンが良かったです。

 間宮兄弟の弟・徹信が失恋したことを知った直美の妹・有美

 その有美が、しゃがみこんでいる徹信の背中に両腕をまきつけてこう言うところ・・
 
 
 「これは違うよ。

  アイじゃないよ。

  友情の抱擁だから。」





間宮兄弟・舞台挨拶見てきました~

サイード_知識人とは何か



「知識人とは何か」

エドワード・W・サイード(Edward W. Said)

訳は、大橋洋一さん。


 先日のレヴィ・ストロースの講演録が面白かったので、

 サイードのBBC放送のリース講演を手に取りました。

 サイードさん、パレスチナ生まれで、欧米で育ち、コロンビア大学の文学教授として、
アメリカを拠点にしつつ、欧米と中東を往来。

 本書にも出てくるテオドール・アドルノ・・・ドイツの高踏的な文化に育ち、
ナチスの台頭によってアメリカに渡る・・のパレスチナ人版のように思えました。

 亡命者としてのアドルノがアメリカの大衆文化を目の当たりにし、沈鬱な気持ちになりつつも
「ミニマ・モラリア(小倫理学)」(アリストテレスの「大倫理学(マグナ・モラリア)」に
対したもの)という傑作を表わしたことと同様に、

 サイードには、「オリエンタリズム」がある、と。


 サイードのいう、

 知識人の公的役割とは、

 「アウトサイダーであり、「アマチュア」であり、現状の攪乱者であ」り、
 権力に対して真実を語ろうとするもののこと。


 「アマチュア」とは、現代社会による各種の「専門家」や技術者集団に対するもの。

 知識人を、知識を持っている人というのであれば、
 「専門家」を外すことはできないが、
 
 この「専門家」は、政府や大企業につかえる場合、モラルの問題を横に置き、
 もっぱら専門分野の枠の中だけで考えるようにする。
 
 だからこそ、知識人が独立を維持するためには、専門家ではなくアマチュアの姿勢に
 徹することが有効なのだ、と。



 社会・共同体からの圧力が加わった際に、
 知識人は体制につくべきか否かという問題が、悲劇的なかたちで問題化した最も典型的な例として、
 
 明治維新の日本
 
 が挙げられています。

 ・・・極端な軍国主義、天皇崇拝、土着文化の復興をもたらし、個人を国家に従属させるようになる。
 この民族主義は、他人種を貶下するものであって、・・日本人がもっとも先進的な人種であるという
 「指導民族」の考え方のもとに、中国人の無差別大虐殺をひきおこす・・

 等の一節を読むと、最近、歴史認識の見直しの議論がありますが、
 ことは日中韓だけの問題ではなく、
 欧米の学者のベースまで変えるのは・・・なんとも気の遠くなるような感がします。


 また、サイードさんが依拠するイスラム世界について・・

 欧米の学者が、イスラム世界を扱う時に、「イスラム」を十把ひとからげとして、無責任極まりない
かたちで語る。・・・ひと口にイスラム世界といっても、10億人の人間が暮らし、何十もの異なる
社会があり、アラビア語・トルコ語・イラン語等等の言語を含み、地球の面積の3分の1を占める。

 イスラム原理主義の危険性を声高に語るものは、同時に、キリスト教原理主義やユダヤ原理主義
の危険性を語らない。


 先日のレヴィさんは、広汎なイスラム世界についての自身の研究は不足し、イスラムの研究家に譲る、
と意見表明を拒否していたことを思い出しました。


【目次】
第1章 知識人の表象
第2章 国家と伝統から離れて
第3章 知的亡命―故国喪失者と周辺的存在
第4章 専門家とアマチュア
第5章 権力に対して真実を語る
第6章 いつも失敗する神々



 サイードの自伝的ドキュメンタリーがDVD「OUT OF PLACE」となっているので、
 機会があれば見てみたい。
 






「IKKI」に連載されていた

菊池直恵さん&横見浩彦さんの

「鉄子の旅」

5年間、48旅にて、
昨年12月号で完結。

3月に出た第6巻が最終巻となりました。


日本中の駅9843を全駅下車、切符代のみで250万かけて
電車を乗りまくり駅に降りまくった横見さんと
5年間毎月1回の電車の旅につきあった菊池さんの合作です。


今回は、
韓国のスイッチバックのため、
マイナス10度の中、
ソウルから片道5時間、往復10時間かけたり、

「めぞん一刻」の音無響子さんが登場したり?!

大井川鉄道&井川線の旅の取材にAFPの記者さんが同行し、
昨年6月1日付の「ジャパン・タイムズ」に掲載されたり、

それを通した電車の旅の楽しさが伝わってきます・・



・・でも、本や雑誌での擬似体験は好きなのですが、
鉄道にはこれまで一度もはまったことがないのですね~。

でも、「鉄子の旅」で知った
牛山隆信さんが紹介されている「秘境駅」には興味があります。



「鉄子の旅」、
TVアニメ化決定
で、
6月24日(日)午前10時、放送開始なんだって。

本田晃一さんのブログ「自由だいちゅき」の

4月5日付けの「日本一の投資家の考え方」と題した記事の中に、

竹田和平さんの講演テープ

まるまる90分間分アップされています。

うれし~いです。


「ありがとう100万遍」で、
感謝の気持ちを習慣化し、
自分の心を作る。


興味あれば一聴いただければ!



 
 映画「二百三高地」・・・

 先週、旅順港を見た感動を再び・・ということで、

 DVD借りて、久しぶりに見ました。

 日本映画・・戦争映画の中でも、秀逸ですね。

 手抜きや安普請な作りがなく、役者も揃っていて、何度見ても良いです。



 セメントで塗り固め、機関銃で装備されたロシア軍のトーチカに対して、
 玉数の乏しい銃剣のみで正面から三度の総攻撃を敢行し、無残な失敗。

 ようやく二百三高地へ攻撃を転ずるものの、いまだ陥落させられず。

 業を煮やした丹波哲朗扮する参謀総長・児玉源太郎が、
 仲代達矢扮する乃木の第三軍司令部へ乗り込む。

  
 旅順攻略の作戦を握る第三軍司令部の参謀たちが、ストーブを囲んで待機中。

 その姿を見た児玉が、
 開口一番、

「馬鹿もん!

 軍の最高指導部がこんなところでストーブなど囲っちょってそれで戦争に勝てると思うのか!

  (伊地知参謀長)

 貴様らの頭の中には何が詰まっちょんじゃ。

 いまこの時間にも、バルチック艦隊は刻々近づきつつあるっちゅうことを、
 貴様らはまだわからんかい!

  (伊地知参謀長)わかっちょります。打つべき手は打っております。

 それでまだ二百三高地の攻略ができんちゅうのはどういうわけだ?

 打つ手は状況によって刻々変わるんじゃ。

 こんなところで馬鹿づらさらしておって何が手を打ったじゃ。

 貴様らのような鈍感な頭では参謀は務まらんのう。

  (伊地知参謀長)そこまでおっしゃるのなら、我々にもいいたかことがごわす。
    ・・と、総司令部がこれまで要求する弾薬を送ってこなかったこと、
    責任の一部は、大本営と児玉にもあるはず、という。 

 ・・伊地知、おぬしの職はいったいなんじゃ。

 第三軍の参謀長じゃないんか。

 作戦の責任をとらにゃならん参謀長が他に責任を押し付けて、

 それで職をまっとうできると思うちょるんか。」


 このシーン、結構お気に入りです。

 反論する伊地知参謀長の言葉が、反論になってない。
 
 失敗プロジェクトの多くが、
 まともな報告ができなくなっており、何もかにもが問題のように見えるので、
 打つ手が的外れか後手に回ってしまう。

 「打つ手は状況によって刻々変わる」・・・

 至極当然の言葉も、切った貼ったの毎日だと、
 一度考えたことは・・たとえそれが浅くても「考えたつもり」
 「思考停止」になっていることしばしばなので、
 身につまされます。

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