本居宣長「うひ山ぶみ」 (講談社学術文庫)

白石 良夫(全訳注)

2009年刊





 宣長さんのライフワークであった『古事記伝』が完成したのは、寛政10年(1798)、

 数え69歳のときだった。

 9月13日、門人たちによって完成祝賀会の宴がひらかれた。

 その席で、数人の弟子たちから、初学者向けの古学の入門書の執筆を、改めてお願いされる。

 長年『古事記伝』執筆の多忙を理由に断り続けていたが、ついに取り掛かり、

 翌月10月21日夜には書き終えてしまった。

 それは、学究生活40年で得た学問の要諦をまとめたものだった。


 タイトルは、『うひ山ぶみ』・・・「はじめての山登り」のこと。


 まず、何を学べばよいのか?

≪いかに初心なればとても、学問にもこころざすほどのものは、

 むげに小児の心のようにはあらねば、ほどほどにみづから思ひよれるすぢは必ずあるものなり。

 又、面々好む方と好まぬ方とも有り。又、生れつきて得たる事と得ぬ事ども有る物なるを、

 好まぬ事得ぬ事をしては、同じやうにつとめても、功(いさをし)を得ることすくなし。≫


≪いかに初学者とはいえ、学問を志すほどの人なら、まったく無垢の子供ではないのだから、

 自分はこれをやりたいというものがあるはずである。

 また、人それぞれに好き嫌いがあり、向き不向きもある。

 好きでもないことや不向きなことをやるのでは、どんなに努力しても、その成果は少ない。≫

 つまり、
 
 好きなことを学んでよい。



 では、どう学べばよいのか?


≪詮ずるところ学問は、ただ年月長く倦まずおこたらずして、

 はげみつとむるぞ肝要にて、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、

 さのみかかはるまじきこと也。いかほど学びかたよくても怠りてつとめざれば、功(いさをし)はなし。

 又、晩学の人も、つとめてはげめば、思いの外、功をなすことあり。

 又、暇(いとま)のなき人も、思いの外、いとま多き人よりも功をなすもの也。

 されば、才のともしきや、学ぶことの晩きや、暇のなきやによりて、思ひくづをれて

 止むことなかれ。とてもかくても、つとめだにすれば出来るものと心得べし。

 すべて思ひくづをるるは、学問に大きにきらふ事ぞかし。≫


≪ようするに、学問は、ただ年月長く倦まず怠らず、励みつとめることが肝要なのだ。

 学び方はどのようであってもよく、さほどこだわることはない。

 どんなに学び方がよくても、怠けてしまってはその成果はおぼつかない。

 また、人の才能のあるなしによって、学問の成果は異なるのだが、才・不才のない人でも、

 怠けずに励みつとめさすれば、それだけの成果はあがるものである。

 晩学の人でも、つとめ励めば、意外な成果を出すことがある。

 勉強する時間がないと言っている人も、案外、時間のある人よりも成果をあげることがある。

 であるから、才能がないとか、出発が晩かっただとか、時間がないとか、そういうことでもって、

 途中でやめてしまってはいけない。

 とにもかくにも、努力さえすれば出来るものと心得るべきである。

 諦め挫折することが、学問にはいちばんいけないのだ。≫






≪さて、まづ上の件(くだり)のごとくなれば、まなびのしなも、しひてはいひがたく、

 学びやうの法(のり)も、かならず云々(しかじか)してよろしとは定めがたく、

 又、定めざれども実(まこと)はくるしからぬことなれば、

 ただ心にまかすべきわざなれども、・・≫


≪右のようなことなので、どういった学問がいいとかは言いがたく、

 学び方も、絶対こうしたらいいとは決めがたいものである。

 また、そのようなことは決めなくてもいいことであって、

 ただ本人の考えるがままにすればいいのである。≫




≪そは、まづかのしなじなある学びのすぢすぢ、いづれもいづれも、

 やむことなきすぢどもにて、明らめしらではかなはざることなれば、

 いづれをものこさず学ばまほしきわざなれども、一人の生涯の力を以ては、

 ことごとくは其奧までは究めがたきわざなれば、

 其中に主(むね)としてよるところを定めて、かならずその奧をきはめつくさんと、

 はじめより志を高く大きにたててつとめ学ぶべき也。

 然して、其余(あまり)のしなじなをも、力の及ばんかぎり学び明らむべし。≫


≪学問にはさまざまな分野がある。

 それらのどれも大事なもので、明らかにしなくてはならないものであるから、

 すべての分野を学んで精進したいと思うのはわからないではない。

 しかし、一人の一生涯の力をもってしてすべての奥義を究めるなどというのは、

 無理なことである。

 そのなかで、自分の専門とすべきものを決めて、それだけは究めねばやまずと、

 はじめから高い志をたてて勉学に励むべきである。

 しかるのち、ほかの分野にも、できるかぎり手を伸ばしてゆけばいい。≫





 本の読み方へのアドバイス・・

≪又、いづれの書をよむとても、<ヨ>初心のほどは、かたはしより文義を解せんとはすべからず。

 まづ大抵にさらさらと見て、他の書にうつり、これやかれやと読みては、

 又さきによみたる書へ立かへりつつ、幾遍もよむうちには、始(はじめ)に聞えざりし事もそろそろと
 
 聞ゆるやうになりゆくもの也。


 さて、件の書どもを数遍よむ間には、其外のよむべき書どものことも学びやうの法(のり)なども、

 段々に自分の料簡の出来るものなれば、其末の事は一々さとし教ふるに及ばず。

 心にまかせて力の及ばむかぎり、古きをも後の書をも広くも見るべく、

 又、簡約(つまびらか)にしてさのみ広くはわたらずしても有りぬべし。 ≫



≪また、どんな書物を読むのにも、初心のうちは、はじめから文義を理解しようとしてはいけない。

 まずおおまかにさらっと見て、ほかの文献にうつり、これやかれやと読んで、

 さらに前に読んだものにかえればいい。

 それを繰り返せば、最初に理解できなかったことも徐々にわかるようになるものだ。


 さて、それらの書物を何回も読むうちには、そのほかの読書についても、

 また学問の方法などについても、次第に自分の料簡ができるものである。

 したがって、それ以上のことはいちいち諭し教えるにおよばない。

 心にまかせて力の及ぶかぎり、古い文献も後世のものも広く見渡してもいいし、

 場合によっては簡単にして広くしなくてもいい。≫





≪初心のほどは、かたはしより文義を云々。

 文義の心得がたきところを、 はじめより一々に解せんとしては、

 とどこほりてすすまぬことあれば、 聞えぬところは、まづそのままにて過すぞよき。

 殊に世に難き事にしたるふしぶしをまづしらんとするは、いといとわろし。

 ただよく聞えたる所に心をつけて、深く味ふべき也。

 こはよく聞えたる事也と思ひて、なほざりに見過せば、

 すべてこまかなる意味もしられず、又おほく心得たがひの有りて、

 いつまでも其誤リをえさとらざる事有る也。≫


≪文意の解しがたいところを、はじめからひとつひとつ解き明かそうとすると、

 滞って先に進まないことがある。

 そんなときは、不明なところはそのままにしておいて、先にすすめばいい。

 難解なことをまず知ろうとするのは、たいへんよくない。

 平易なところにこそ心をけて、ふかく味わうことをしなくはならない。

 わかりきったことだと思って加減に見過ごせば、微妙な意味が感得できず、

 さらに間違って解釈していても、その誤りにいつまでも気がつかないものである。≫


 宣長さん自身の読書経験として、『玉勝間』巻二の「おのが物まなびの有りしやう」に

こうあります。

 のちに先生となる賀茂真淵の『冠辞考』が江戸で出版され、知人から見せてもらい、

はじめて名前を知る。

 この本を初めてひととおり読んだときは、

 まったく思いもかけぬことばかりで、あまりに意想外で、奇妙な感じがした。

 なかなか納得できなかったけれども、もう一度読み返してみると、

 なるほどと思われる箇所もでてきた。

 さらに、また読み返すと、いよいよ納得できるところが多くなり、

 読み返すたびに、納得する気持ちが増して、ついには、それが真実だと思うにいたる。





≪すべて学問は、はじめよりその心ざしを、高く大きに立てて、

 その奥を究めつくさずはやまじと、かたく思ひまうくべし、

 此志よわくては、学問すすみがたく、倦(うみ)怠るもの也、≫


≪すべての学問は、はじめからその志を高く大きくして、

 その奥義を究めつくさずばやまじと、かたく心しなければならない。

 そうでなくては、学問はすすまず、怠り心が出るのである。≫




<目次>
『うひ山ぶみ』解説(『うひ山ぶみ』の成立とその概要
古道論としての古学
古典研究としての古学 ほか)
『うひ山ぶみ』総論(物まなびのすぢ
みづから思ひよれる方
怠りてつとめざれば功はなし ほか)
『うひ山ぶみ』各論(物まなびのすぢ、しなじな有りて
しなじなある学び
志を高く大きにたてて ほか)
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 JR川崎駅の隣にある「ミューザ川崎」へ。

 今日は、川崎市の「市民交響楽祭2014」

 「ミューザ川崎」ができて、今年は10周年記念でした。

 先週のNHK「らららクラシック」が、ホルストの「惑星」だったので、

 楽しみにしていました。

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 指揮者の栗田博文さんによる解説で、とっても楽しむことができ、

大満足でした。

日時:2014年 8月31日(日) 14:00開演
場所:ミューザ川崎シンフォニーホール
合唱:麻生区合唱連盟
管弦楽:川崎市民オーケストラ2014
指揮:栗田博文

曲目:
ホルスト/組曲「惑星」
 火星、戦争をもたらす者
 金星、平和をもたらす者
 水星、翼のある使者
 木星、快楽をもたらす者
 土星、老いをもたらす者
 天王星、魔術師
 海王星、神秘主義者
 

ジョン・ウィリアムズ/「スターウォーズ」より
 メインタイトル
 アクロスザスターズ
 帝国のマーチ
 王女レイアのテーマ
 王座の間とエンドタイトル


アンコール エルガー/威風堂々 第一楽章

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モノ食う人々・・品川・TGIフライデーズ
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本居宣長 (センチュリーブックス 人と思想 47)
本山幸彦「本居宣長」(センチュリーブックス 人と思想 47)

清水書院

新装版、2014年刊




≪宣長の学問は、いいかえれば古代、中世の古典によって

 日本人の生活心情、価値意識を正確に再現し、

 それを宣長自身や日本人の生活の指針たらしめるとともに、

 それを永遠に保証する天皇の統治の本質を解明、宣揚しようとするものであったが、

 宣長が用いた研究方法は、きわめて客観的、実証的な考証であった。



 宣長はこの確かな方法を『古事記』に適用し、

 そこで明瞭にした「事実」をそのまま古の道として信じたのである。≫




≪『古事記』に対する宣長の本格的な研究には、

 現実の社会において、儒仏的な人間規範に対決し、

 これを克服しようとするきびしい決意が秘められていたとみて間違いない。


 宣長はこの学問を古学と呼び、

 そこで確認された道を古道となづけた。≫





≪宣長のこの確信は、古道が現代を規制し、現代を動かしているという確信に

 ほかならない。≫


 宣長の確信は、

≪古道という「事実」に対する信仰であり、

 それが彼の特色だった。この特色は宣長が、神代と現代との連絡性を確認している

 ところに、最も明瞭にあらわれていた。≫


≪宣長の現代のなかに神代をみるというこの世界観は、

 ひらたくいえば、現状を神の所為として肯定する考え方である。

 それは古代のみを理想とする復古主義とは逆に、歴史のあらゆる時代に、

 神代と直結した価値を認める思想であり、国学者のなかでも独自なものである。≫




≪宣長にとって現状とは、何度もいうようにそこに神代が内在し、

 人間の真情を生かして働かすことができる世界である。≫


 宣長は、人々の真情を保守し、人の穏やかな安らいだ生活を保証するために、

 天皇統治の政治機能がある、と考えた。

 ・・が、

≪それはつねに権力機構としての天皇制を礼賛し、その強権性を完全に人々の眼から

 隠弊しつづけるイデオロギーであることは否定できない。≫

 

梅原猛「京都発見 2 路地遊行」

新潮社

1998年刊



 阿為神社・・大阪府茨木市安威


「24 中臣氏と安威の里」より


≪藤原鎌足の墓と考えられる阿武山古墳のある阿武山から安威川に沿って下ると、

 そこに安威の里が拡がり、至る所に中臣氏即ち藤原氏の伝承が残っている。

 この安威の里で古くから鎌足の墓と伝えられてきたのが将軍塚古墳である。

 この古墳は丘陵の頂上にあり、麓は「将軍塚団地」として拓り開かれた

 一大住宅地となっている。

 また、この古墳は「大織冠神社」という神社となっているが、六世紀頃の

 横穴式古墳であるので、鎌足の墓ではないことは明らかである。

 しかし、ここは昔から藤原鎌足の墓と伝えられ、江戸時代から明治時代まで

 九条家が使いを遣わして、この先祖の墓に参る習わしがあった。

 或はこの安威の地に鎌足の墓があるという伝承をもとに墓を探したところ、

 将軍塚が見付かり、鎌足の墓として参ることにしたのであろうか。

 ひょっとしたら、将軍塚から北東の方向に阿武山が拝せられるので、

 ここは古くから阿武山の遥拝所であったかも知れない。≫




≪この大織冠神社即ち将軍塚古墳は、「胴塚」或は「動墓」とも呼ばれていた。

 動墓即ち「動塚」は鳴動する塚という意で、事が起こると鳴動するという

 多武峯(とうのみね)の談山神社を思い出させる。

 また胴塚に対しては「首塚」というものがあったらしい。・・≫


 大織冠堂阿武山善法院大念寺に、かつてこの首塚があったというが、いまはない。

≪大念寺の隣に阿為神社があるが、もともと大念寺と阿為神社は一体であり、

 かつては現在地より少し南の平地にあり、そこは昔は中臣・藤原氏の住宅跡

 だったというのである。≫


≪阿為神社は、北に天児屋根命を祀る本社があり、

 西に末社・鹿島社がある。

 鎌足の勧請とも中臣藍連(あいのむらじ)の勧請ともいうが、

 私は、もしこの地が鎌足の根拠地であるとすれば鎌足の勧請と思う。≫




<目次>
因幡堂と橘氏
六角堂と太子信仰
壬生寺と壬生狂言
庶民の寺・地獄極楽
清水寺が生むものがたり
行基仏
京の春日社・茨木から都へ
京の奇祭
吉田山・神楽岡〔ほか〕

葉室頼昭「神道 〈いのち〉を伝える〈新装版〉」(神道コレクション・日本人の美しい暮らし方)

春秋社

2013年刊



≪・・日本人というのは自分のために生きることをしないで、

 祭りに見られるように、神さまにお悦びいただき、

 そして人を悦ばせるために生きる。

 そうすると自分が生きられるのです。≫



 共生の一例・・

 春日若宮のおん祭りでは、

 細男(せいのお)という舞が奉納される。

 細男は、もともとは戦いで死んだ敵の死者を弔う舞である。

 つまり、敵の戦死者とも共生しようというすごい考えから来ている。


≪日本人というのは、細男に見られるように、

 死んだ人の幸せも考えないと、自分が幸せにならないということでしょう。≫

≪・・まず死者を弔うということが、現世にいる我々の幸せにつながってくるとわけです。≫


 人のために努力だけして、何の結果も得ていないことが、

 すごい陰徳になる。








<目次>
第1章 “いのち”を伝える(いのちとは
それぞれに違ういのち ほか)
第2章 古事記と日本人(古事記はなぜつくられたか
古事記の真実のこころ ほか)
第3章 日本医学と西洋医学(五感の不思議
ものの見方について―二十シーシーのミルク ほか)
第4章 神道と祭り(祭りについて
作法と姿かたちの美 ほか)
第5章 “歴史”をたもつ(大祓について
神のことばの力 ほか)

島田裕巳「神道はなぜ教えがないのか」(ベスト新書)

2013年刊




 「ない宗教」が神道である。

≪開祖も、宗祖も、教義も、救済もない宗教が神道である。≫


 神社には、

 神の象った神像など存在せず、

 あるのは、神が宿っているとされる鏡や御幣などの依代(よりしろ)だけである。

 摂社や末社の社殿、小祠には、その依代さえないこともある。

 
 ・・神社の中心には、実質的に何もない。




 本居宣長が『古事記』を読み解く中で見つけ出したこと・・

 日本の歴史の古層に、神々が「なる」という側面があること。

 そして、

 神々の物語から代々その地位を受け継いでいく天皇の物語へと発展していく

 「つぐ」ということに注目した。


 


≪「ない宗教」としての神道にとって、

 「ある宗教」としての仏教との出会いは決定的に重要な意味を持った。≫


≪神道は「ない宗教」、仏教は「ある宗教」だから衝突がなかった≫


≪神道は、何でも揃っている仏教からさまざまな要素を取り入れ、

 その体系化を進めていくことができた。

 しかも、全面的に取り入れていく必要もなかった。

 ないものは必ず仏教にあり、それに依存すればよかったからである。

 
 逆に仏教は、神道の世界にどんどんと浸透していくことができた。

 神道には、仏教にあるものがことごとく欠けていたため、

 どこまで深く浸透しても対立するということがなかったからである。≫






 神道は、仏教やキリスト教と異なり、

 聖と俗、あの世とこの世、浄土と現世のように、

 世俗の世界と異なる神聖な世界の存在が想定されていない。


 聖なる世界と俗なる世界との間に区別がない以上、

 厳密な意味での聖職者は存在しない。








<目次>
「ない宗教」としての神道
もともとは神殿などなかった
岩と火 原初の信仰対象と閉じられた空間
日本の神道は創造神のない宗教である
神社建築はいつからあるのか
「ない宗教」神道と「ある宗教」仏教との共存
人を神として祀る神道
神道とイスラム教の共通性
神主は、要らない
神道は変化を拒む宗教である
遷宮に見られる変化しないことの難しさ
救済しない宗教
姿かたちを持たないがゆえの自由
浄土としての神社空間
仏教からの脱却をめざした神道理論
神道は宗教にあらず
「ない宗教」から「ある宗教」への転換
神道の戦後史と現在

武光誠「神道――日本が誇る「仕組み」」(朝日新書)

2014年刊




≪神道の神事は、苦行ではない。

 縄文時代以来、日本人は祭りのために良い酒、旨い料理をつくろうと工夫し、

 さまざまな芸能を発達させてきたのである。≫




≪神道は「穢れ」を最も避けるべきものとする考えをとっている。

 「穢れ」は、「気(け)(霊(け))枯(がれ)」

 で、人の気持ちを暗くするあらゆるものが穢れとされている。≫





縄文時代の頃の庶民の感覚・・

「私たちは、自然つまり神様の恵みによって生かされている」

「神を祭る芸能」



12世紀はじめの大開墾時代から、14世紀の終わり、室町時代の手前頃までの300年間・・

「神様にたよるだけでは、不十分だ。

 私たち自身が知恵をめぐらせて、生活を向上させていこう」

「人びとが楽しむ芸能」

 鎌倉時代の白拍子、琵琶法師、猿学師

 楽しみ事は、「神様と共に集落の住民全員で行うものだ」


 平安時代半ばから、村落の小領主が、氏神の神職を務めた。

 ところが、

 戦国時代を経て、

 戦国大名は、城下町を作り、家臣である武士は城下町へ移住する。

 つまり、氏神の祭祀を行っていた村落の小領主である武士は、村落を離れてしまう。

 しかも、戦国大名は、領内の有力な神社だけを保護し、

 地域の人々が支える個々の神社までは保護しなかった。

 こういった動きの中で、

 村落の神職の救いとなったのが、京都の吉田家の神道説であった。

 吉田家は、中臣氏のもとで古代朝廷の祭官を務めた卜部氏の流れを引き、

 京都の吉田神社の神職を世襲していた。



 江戸時代に入ると、

 幕府は、吉田家を介して、全国の神職を統制する方針を採った。

 さらに、

 幕府は、民衆の宗教統制のため、「宗門人別帳」の作製を始め、

 「葬式仏教」が始まった。






<目次>
まえがき

序章 神道とは何か
・日本列島以外にみられない「日本の民族宗教」が神道
・時代によって変わる神道の顔
・神道の起源をどこに求めるべきか

第一章 神道の起源・神道の基礎
第一節 万物を畏れ敬った縄文人
第二節 祖先の声を聞く巫女を発生させた弥生人

第二章 国家の成り立ちと神道の組織の整備
第三節 祖霊信仰を首長霊信仰に発展させた大和朝廷
第四節 仏教の影響で現代風の神社ができた
第五節 鎮護国家思想をつくった神仏習合
第六節 朝廷の神社統制によって、各地の神の多くが天照大神ゆかりの神になる
第七節 神仏習合の高まりと神社の格付けの由来

第三章 武士の勢力拡大によって神道の政教分離が進む
第八節 武士の手で八幡宮、春日神社などが地方に広がる
第九節 神事から起こった歌舞伎芸能の多様な展開

第四章 戦国時代、江戸時代に神社が武士のものから民衆のものになる
第十節 神を祭る職業、神職をつくった戦国動乱
第十一節 天下泰平のもとで親交と娯楽が結び付き、ご利益を求める参拝が広まった

第五章 幕末以降の日本の近代化と神道
第十二節 世の中を祓い清める「世直し」を求めた幕末の人びと
第十二節 古代神道への原点回帰と矛盾した新政府が掲げた国家神道
第十四節 国家神道の解体と日本の神道思想の行方


武光誠「知っておきたい日本の神道」(角川ソフィア文庫)

角川学芸出版

2013年刊






 神道の心から生じたもの・・

 仏教、朱子学、陰陽道といった外来の宗教や文化とすみやかに融合・・ 

 平安時代・・もののあわれ、数寄

 室町時代・・わび、さび、幽玄

 江戸時代・・粋、武士道



 人間が生まれながらに持つ5つの良い心・・
 
 清(きよ)い心

 明るい心

 正しい心

 直(すなお)な心

 赤(あか)い心


 ・・このような良い心を忘れた時、人間は一時的に穢れてしまう。

 そして、汚い、暗い、邪な、曲った、黒い振る舞いをしてしまう。





 先祖供養の変遷・・


 弥生時代は、

 亡くなった祖先の霊魂だけでなく、

 人間の霊魂以外の霊魂も含めて、

 生きている人々がお祭りした。

 


 安土桃山時代頃まで、

 村落の住民がまとめて、村落全体の住民の祖霊を、神として祭っていた。


 ところが、

 江戸時代に、キリスト教禁教のため、寺請制度が出来、

 農民や町人に、どこかの寺院の檀家になることを命じた結果、

 家ごとに墓を設けて、自分の家の先祖を祭るようになった。



 江戸時代末になると、

 神職の間に国学の「日本固有のものを重んじよう」という思想が広まり、

 京都の吉田神社の神職たちが初めて、神式の葬儀次第を作った。

 江戸時代末に、神職に、神葬祭が広がり、
 
 さらに明治時代に寺請制度が行われなくなると、神職以外の人にも広まった。


   
 う~む、「神式の葬儀次第」が、江戸時代末からとは!!!

知りませんでした。








<目次>
序章 日本人と神道
第1章 御先祖さまと神道
第2章 神社の不思議―暮らしのなかの神道
第3章 祭事に込められた意味―暮らしのなかの神道2
第4章 皇室と神道
第5章 神話と神道
第6章 日本人の心と神道の歩み
終章 現代日本と神道
大連出張から帰国・・

朝食・・二回とも、和洋折衷でした。
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ランチ・・珍しく和食
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しゃぶしゃぶ・・肉は、牛と羊
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大連ビールと白酒・・
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最後に、出発直前に空港で食べた排骨(パーコ)拉麺
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葉室頼昭「神道 見えないものの力」

春秋社

1999年刊




 葉室さんは、1927年生まれ、
 
 阪大医学部を出て、外科医として病院長、開業医を経て、

 1991年、神職階位・明階を得、枚岡神社宮司を経て、

 1994年、67歳で、春日大社宮司となる。

 2009年にお亡くなりになる前まで務めれた、とのこと。

 この紆余曲折のことを、こうおっしゃっています。


≪・・急がば回れというのは本当のことなんです。

 私などは回りすぎてしまって、そしてとうとう春日大社に来てしまった(笑)。

 ここへ来たのが六十七歳です。

 六十七年間ほかを回ってしまった。

 なんと無駄な人生と思うけれども、これがいちばん最短で、確実に

 春日の宮司になる神さまの時間と道だったんですね。≫ 


≪だから、神に沿って行きなさい。

 それがいちばんの最短距離です。

 我欲を出すなと言っているんです。≫

 ・・神さまの時間に沿って生きるのが、一番短い確実な道である




 お祭りは、時間を超える。

≪祭りには時間というものが存在しないわけです。

 やっていることは、ただ神さまをお悦ばせしようということです。

 ただそれだけなんですね。

 そして、繰り返しのなかに命が通じていくという原理です。

 ・・

 ですから、時間というのはまったくそのなかでは存在しないわけです。

 ただひたすら神さまをお悦ばせしよう。

 おいしいお供えをし、祝詞でほめたたえ、歌でほめたたえ、

 巫女の神楽でお悦ばせする。ただそれだけです。

 
 神さまに悦んでいただければ、あとは全部神さまがしてくださるというのが、

 日本人の祭りの考え方でしょう。≫

 ・・それを奈良時代以降、続けている。



 世界遺産は、それまでどれだけ古いか、に価値をおいて評価されてきた。

 ところが、

 20年に一度、お社を新しくするという「式年造替(しきねんぞうたい)」が、

 新陳代謝のように、古い細胞が新しく蘇る方法で連綿と続いてきたこと・・

 昔からの伝統文化を絶やすことなく続けてきたという目に見えない祖先の努力も、

 世界に誇る日本の文化遺産と評価されていい。



 
 天児屋命(あめのこやねのみこと)・・

 もともと高天原で祭り事をつかさどる神さま。藤原氏の祖先。
 
 大国主命と同じ働きで、香取・鹿島の神さまがまず交渉にこの地に来られて、

 そのあと天児屋命ご夫妻が信仰的にこの大和地方を治めて奈良の地を造った。









<目次>
序章 見えないものの力
第1章 時間と空間
第2章 日本語について
第3章 生命の不思議
第4章 真実の人生とは
終章 “こころ”をたもつ

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